現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

喫煙可(家) のレストラン、ホテル・サンルート

2010-10-27 23:50:14 | 社会問題
私の父はヘビースモーカーで、家の中でも
しょっちゅう吸っていたが、子供の頃、その
煙や臭いが気になることはなかった。

それなのに、最近は、煙草の臭いに敏感に
反応するようになってきた。そう感じる
「嫌煙家」は、多いようだ。

今日の昼、ホテル・サンルートで 食事を
することとなった。レストランに入ると、煙草の
煙がすごい。

案内のウェイトレスに「禁煙席は?」と訊くと、
彼女は申し訳けなさそうに、首をすくめるだけ。
モデルのような美人だ。以前の私なら「法令
違反じゃないか!」と声を荒げて、店を飛び
出すのだが、美人の彼女に免じて、そのまま
煙草の臭いの中で食事をした。美人は得じゃ。

『健康増進法』では「飲食店など多数の者が
利用する施設では、受動喫煙を防止する必要な
措置を講じなければならない」と定められ、
「飲食店は全面禁煙にするよう」厚生労働省
から通達も出ているそうな。

もっとも罰則は無いので、従わなくとも処罰
はされない。そこで、考えを変えてみた。

今や、喫煙者は4人に1人。喫煙者にとっては
受難の時代だ。サンルートは、そんな愛煙家の
ためのレストランに特化しているのかと。

昨今、客入りの悪いホテル業界。「喫煙可」に
することで、愛煙家を取り込んでいるのだ。
それも有りか。

マイケル・ジャクソン

2010-10-27 07:21:48 | テレビ・映画・芸能人
マイケル・ジャクソン。彼ほど世界のトップスターで
ありながら、マスコミの迫害を受けた人はいないだろう。
大半が、黒人差別と、陰謀と偏向報道だったともいう。

「ネバーランドも維持できなくなって売却した」という
ニュースを確かに見た記憶があるが、嘘の報道だった
ようだ。

それにしても、敷地面積 2万6000エーカー(千代田区と
ほぼ同等)。1989年に39億円をかけて建設。スタッフ
100人以上。その維持費は年間 2~3億円というから、
桁違いにすごい。

彼をそこまでにしたのは、父親のスパルタ教育。
「父はいつもベルトを持ち、間違えると叩かれ、時には
ありったけの力で壁に叩きつけられ、母親が『あなた
死んじゃうよ、死んじゃうよ』、って叫んで止めてくれた
のを覚えている。そんな父をすごく憎んだ。だから、
自分の子供たちには、絶対に手をあげないんだ」と
語っている。

マイケルの遺産は、母親と子供たちで分配される。
以前に書いてあった遺書には「父親には0」となって
いたとか。

そういえば、マイケルの死後、私のマネージャーが、
彼のCDを買ってきてくれ、私もファンの一人となった。
死後にファンが増えているのは、日本では美空ひばりか。



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マ(ダ)イケル、歿後の稼ぎ

2010-10-27 06:34:26 | 虚無僧日記
マイケル、断トツの222億円=「没後に最も稼いだ著名人」―米誌(時事通信) - goo ニュース

マイケル・ジャクソンといえば、生前は、借金で、
豪邸もネバーランドも、あの白い虎もみんな人手に
渡ってしまったと聞いていた。再起を図ってのツアー
公演の矢先に亡くなったのだから、チケットの払い
戻しなど、大損害だろうと思っていたら、「歿後に
稼いだ収入が 断トツ・トップ」になったとのこと。

わからぬものだ。「虎は死して皮を残し、人は名を
残す」。「名を残せれば、金は付いてくる」か。


山岡鉄舟は「無私無欲の人」だったと言われるが、
亡くなる直前の8カ月。「山岡先生が病に倒れた」
と聞くと、毎日500人もの人が、病床を訪れ、扇や
色紙に揮毫を求めた。8ヶ月で14万人。ゲスな勘
ぐりで、一人1万円の「見舞いとお礼」を置いて
いったとして14億円。「無私無欲」で慕われ、
お金も入ってくるなんていい話だ。そうなりたいと
思っている“欲深い”私で ござる。


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木枯らし吹いて

2010-10-27 05:45:48 | 虚無僧日記
10/27 寒波襲来。「北海道に初雪、近畿地方にも
木枯らし1号が吹き、夜には岐阜の山間部でも
雪になるだろう」との予報。え!?、まだ夏服の
ままなのに、突然の冬将軍の到来。

明治元年の9月23日(旧暦)、会津藩が降服し、
藩士 5,000人が猪苗代に移された。

この年は2月が閏月で2度あったため、旧暦の
9月23日は、新暦では 11月 3日だそうだ。

猪苗代は磐梯山の麓、標高500m。監禁されて
まもなく雪が降った。夏の一重の着物のまま
一ヶ月の籠城戦で、家も焼かれ、家財も衣類も
一切 西軍に略奪された会津藩士たちは、さぞ
骨身にこたえたことだろうが、そのような泣き
言は伝わっていない。

「そのことを思えば」と、昨晩、一重の着物1枚で
虚無僧に出てみたが、10分であえなくダウン。

明日からは、冬装備で「100日間の寒修行」に出よう。
木枯らしとともに、虚無僧の季節がやってきた。
やはり、虚無僧には冬が似合う。


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