現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「遺骨」の置き去り

2010-10-18 13:42:59 | 社会問題
長寿社会 悲しみのない死 放置された漬物容器の遺骨(産経新聞) - goo ニュース

東武伊勢崎線に漬物容器に入った遺骨が放置されたとのこと。

私が子供の頃、「山手線の遺失物の中に『骨壷』」という
ニュースがあって、大きな話題になった。当時は「うっかり
“忘れ物”したのだろうから、すぐとりにくるだろう」と
しか思いが行かなかった。

それが年々増え続けるにつけ、「故意に置き去り?にされた」と
気づくようになった。そして今や、もう頻繁だそうだ。

ある葬儀場では、火葬後「持ち帰らない」骨壷が、今年はすでに
161体で、昨年の120体を上回るとのこと。

もう「葬儀もしない、墓も作らない」という人が。最近急激に
浮上している。

今日10/18の中日新聞一面のコラムでも「戒名は、仏典には無い
日本だけの制度」と名言されていた。もう従来の葬儀社や仏教
寺院は受難の時代だ。新しい価値観を創造する努力が必要。


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テレサ・テン、『ジェルソミーナの歩いた道』

2010-10-18 12:34:13 | テレビ・映画・芸能人
テレサ・テンの『ジェルソミーナの歩いた道』。かつて
一度聞いて、とりこになり、最近 また 毎日聞いている。

【歌詞】

 振り向かないで ドアをしめていって
 あなたの冷めた愛を いたわりにかえないで
 許してあげる 心変わりなんか
 あなたの好きな人を ひたすらに愛してあげて
 どれだけ愛したか それだけがすべてだから
 私は大丈夫 こんなに元気よ

 ※ジェルソミーナの 歩きつづけた
  涙と そよ風の道を 私も今 歩き始める
  両手を広げて※

 確かなものは 何もないにしても
 寄りそい合える人に
 あぁ もう一度 逢えたなら
 どれほど 愛せるか
 それだけが すべてだから
 女に生まれたら 女に生きたい

You-Tubeでは、1985年、NHKホールでのコンサートの
最後に、ウェディングドレスで登場して歌ったという
映像がアップされている。

なぜ、ウェディング・ドレスで歌ったのか、意味深だ。

「ジェルソ・ミーナ」といえば、有名なイタリア映画『道』の
主人公の名前だ。その「ジェルソミーナの 歩きつづけた 涙と
そよ風の道を 私も今 歩き始める。両手を広げて」というのだが、
どういう関わりなのかは、意味不明。あの映画と、関わりが
あるのか無いのか、謎を残して逝ってしまった。永遠の歌姫。


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イタリア映画 「道」

2010-10-18 09:41:57 | テレビ・映画・芸能人
フエデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画『道』。
1954年(S29)の制作。

私がこの映画を初めて観たのは、もう40年も前。
モノクロの暗い映像は 強烈だった。

昨年だったか、世界の名画100選のアンケートに、
上位に入っていたから、今もって世界中の人に
「名作」として支持されているようだ。

大男で、ただ鎖を引きちぎるだけの芸しかできない
大道芸人に買われ、奴隷のように扱われながらも、
けなげに付き添っていく女の名が「ジェルソニーナ」。
“知恵遅れ”というが、そんなことはない。なかなか
愛くるしい。だが、男は彼女を粗暴に扱い、最後は
捨てるのだが、何年かして、男はジェルソニーナが
死んだことを聞かされて、大泣きするシーンで終わる。
見ていて涙は出ないが、ジ~んと重苦しいものが残る。
大道芸人たちのどん底の悲哀に胸を熱くするのだ。

大道芸人を見ると、このフエデリコの『道』を思い
出し、投げ銭をせずにはいられない。


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大須大道町人祭で「ギリヤーク尼崎」 (つづき)

2010-10-18 09:10:45 | 虚無僧って?
私は、20代の学生の時、偶然通りかかった渋谷の
ハチ公前で、ギリヤーク尼崎を観、強烈な印象を
受けた。津軽三味線の音とともに、狂おしく踊る姿は、
今も目に焼きついている。それは「坊さま」と呼ばれた
津軽三味線弾きや、「ごぜ」の姿だ。
まだ、津軽三味線の高橋竹山も、「ごぜ」の小林ハル
さんも、それほど知られていない時代。むしろ、そう
した古いものが、なぎ倒しに、消えていく時代だった。

私は、子供の頃から、虚無僧や放浪の旅芸人に、強い
憧れを持っていた。そして、今、その“夢”が叶い、
虚無僧として生きている。自分の将来は、旅に暮れ、
のたれ死にすることを望んでいる。
 
「旅に病み、夢は枯野を かけめぐる」芭蕉

今、60の還暦を過ぎ、尺八を吹けるのも、あと10年か
と思っていたが、ギリヤーク尼崎に40年ぶりに会って、
力をもらった。
彼は、心臓にペースメーカーを入れている。ここ(左胸)を
路面に打ち付けないように注意して踊るんです」とか、
「体が動くように、毎日鍛えている」と、芸人魂を語って
いた。

16日の「大須大道町人祭」での演舞は夜7時。最後に
水をかぶり、ずぶぬれになる。夜になれば、結構冷えて
きて、濡れた体では寒いはずだ。後片付けにも時間が
かかる。

その間ずっと、興奮してしゃべりまくっていた。「今日は
良かった、今日の踊りは最高だった、あんな手は、今まで
で無かった、激しくよく(手足)が動いた」と。

彼は意外にも雄弁だった。生きることに必死の執念を見る。
虚無僧は「執着を捨てる」ことを教える。彼は、生きること
への執着を伝えているようだ。「宗教的な“祈り”をこめた
芸」では共通しているのだが、正反対のものを感じる。