現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

大須で「百鬼どんどろ 岡本芳一師」追悼

2010-10-20 10:37:56 | 虚無僧日記
「大須大道町人祭」の演目の中に『百鬼どんどろ
岡本芳一追悼 魑魅魍魎絵巻』があった。

岡本芳一さんは、長野県の上伊那に居を構えて、
活躍していた人形師。昨年の春、飯田での公演を観に
行った。バックの音楽は、わが敬愛する児玉竹座氏の
法竹(地無し尺八)。満開の桜の木の下での二人の
共演も、身震いするほどステキだった。

その岡本氏が、今年の春、62歳で亡くなった。私と
同じ歳だ。下伊那に住む尺八のトム・ディーバーも
相次いで亡くなり、二人をよく知るカメラマンの
丹羽さんに誘われて、5月にそれぞれの居宅を弔問
に訪ねた。

岡本氏は、今年の「大須大道町人祭」にも出演予定
だったのだろう。その遺志を継ぐ人たちの演舞が
あったのだ。

岡本氏とギリヤーク尼崎は、共にパリの公演に招かれて
行った仲とか。ギリヤークは演舞の初めに「仲の良か
った友達、どんどろの岡本さんの為に、踊りま~す」と、
声を張りあげたのだ。

そして、終了後に、ギリヤーク氏は「今日は最高だった。
最高の踊りを披露できた」と、興奮して、何度も何度も
口にしたほど熱が入っていた。私も、岡本氏も知るだけに、
その思いが伝わった。

ブログを検索していたら、大阪から わざわざ観に来た人が、
「隣りの人と、肩を抱き合って、涙流して、感動した」と
書いていた。

私も、隣りの若い女性に、思わず声をかけてしまった。
「(ギリヤークの芸が)わかりますか?」と。彼女は「?」顔
だったが、「ギリヤークは知らなかったが、ちょっと気に
なる存在で見にきた」と言う。彼女も独りで見に来ていた。

その後、ギリヤークが私たちの所にやってきて、「(首から
かける) 前掛けの紐を、首の後ろで結んでくれ」という。
ギリヤークはもう80歳。指先が絶えず震えている。中風か。
紐を結ぶのも大変なのだ。暗い中、隣りの彼女にギリヤークの
長い髪を束ねて上げてもらい、私も緊張で指震えながら、
どうにか結んであげることができた。

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「大須大道町人祭」での金粉ショー

2010-10-20 09:07:14 | 虚無僧日記
「大須大道町人祭」の呼び物の一つが「大駱駝艦の
金粉ショー」と知ってびっくり。毎年恒例だそうだ。

大駱駝艦(だいらくだかん)は、1972年、麿赤兒を
中心に結成された舞踏集団。70年安保で世相荒廃の
中、アングラ前衛舞踏として登場した。男女とも、
前張りだけのほぼ全裸に、男はスキン・ヘッド。
全身を白く塗り、おどろおどろしく、狂おしく、のたうち
まわるように踊る。踊るというより、少ない動きの中で
「筋骨の美や 顔の表情の 変化」を見せると云った
方がいいか。海外でも評価され、「Butou」として、
逆輸入され、日本でも認知されるようになった。

その後、「北方舞踏派」「背火」「山海塾」「白虎社」
「アリアドーネ」など、分派して、いくつもの会が結成
された。大駱駝館のメンバーである室伏鴻によって
76年8月に結成された「背火」の、第一回 結成記念
公演は、なんと題が「虚無僧」だった。

私は、こういう世界が好きで、よく通った。バック
の音楽に、尺八の海童道曲『息観』『産谷』などが
使われることもあった。私も「現代舞踊」の会などで
演奏を頼まれたことがある。

前衛舞踊は、人間の奥深い強欲やら深層心理を
えぐり出しており、それは宗教的な祈りにも通じて
いる。

その大駱駝艦が、40年続いていたとは驚きだった。
当然メンバーも全員変わっているのだろう。アングラ
(地下)から地上に出て、人々の目を楽しませるダンス
グループになっていようとは。時代の変化か。


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