現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

漆黒の闇

2011-09-01 15:25:21 | 五木寛之
8/30 中日新聞掲載 五木寛之『親鸞』

「念仏して病が治るわけでもない、暮らしが楽に
なるわけでもない。ならば、なんのために念仏を
唱えるのか」という民衆の疑問に、親鸞は子供の頃の
体験を語りだした。

「9歳の時、比叡山の奥深くにある横川(よかわ)まで、
重い荷物を届ける役目を仰せつかった。

夜になり、月の光を頼りに深山幽谷の山道を登る。
月が陰れば、漆黒の闇。崖伝いの道を這うように
進んでいったが、滝壺の音が聞こえ、手足がすくんで、
一歩も前へ出られなくなってしまった」と。

私も経験ある。南木曽から大平峠を越える時、夜に
なった。最初は月が出ていたが、雲で月が陰ると、
一寸先も見えない。自分の足元も見えないのだ。

山道は曲がりくねり、すり足で進むが、道の両側に
生い茂る草木が体に触れ、蜘蛛の巣が顔にかかる。
気持ち悪く、不安で全く先に進めなくなった。

そこで身動きせず、夜が明けるまで待つことにした。
すると、時折「カサカサ」と草葉が擦れ合う音がする。
鹿か猪か、何かが居るようだ。一睡もできない。
恐ろしい夜だった。

親鸞の心の闇

2011-09-01 14:54:56 | 五木寛之
8/31 中日新聞 五木寛之『親鸞』

親鸞は「もの心ついた頃から、ずっと心に闇を
感じて生きてきた」という。

「母と子を捨てて家出をした父をうらみ、いつも
けわしい目をしていた母をおそれ、伯父の家に
預けられて居候の身をはずかしく思い、弟たちを
足手まといと感じる自分を憎んだ」と。

そうか、親鸞はコンプレックスの塊だったのだ。
比叡山に登っても、身分の高い学生(がくしょう)を
ねたみ、荒々しい堂衆や僧兵らをうとんだ。

親鸞は、エリートではなかったから出世の道も
閉ざされていた。といって僧兵にはなれない。
自分に絶望していた時、心は黒々とした まっ暗闇の
中にあった時、法然に会い、月の光に照らされた
ような心持になった。

「月が照ったからといって、背負っている荷物が
軽くなるわけでもない、遠くに横川の燈が見えた
からといって道のりが近くなるわけでもない。
だが、私は、歩きだすことができた」

なるほど。念仏は「月」のようなものか。


「心の闇」って?

2011-09-01 10:51:32 | 虚無僧日記
「心の闇」で検索していたら、ちゃんとまとめてくれている人がいた。

「心の闇」という言葉使いは、平安の昔からあったらしい。

「人の親の 心は闇にあらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」『源氏物語・桐壺』
「尽きもせぬ 心の闇に 暮るるかな 雲居に人を見るにつけても」『伊勢物語』

それは、「親が子を思う心」や「恋心」、「盲目的な心」という意味だった。

『金色夜叉』の尾崎紅葉が、明治26年「心の闇」という小説を発表している。

「盲目の按摩佐の市が、宿屋の一人娘お久米にほのかな恋心を抱いていた。
しかし、お久米の方は、盲目の按摩などは、結婚対象外。やがて、縁談が
あってお久米は結婚する。悶々とする左の市。 佐の市は夫婦の新居の周りを
うろうろしているところを警官に見つかり、不審人物として連行されてしまう。
その後お久米は佐の市に会うことはなかったが、あるときは死人のよう、
あるときは怪物のような顔をした佐の市の悪夢を見るのだった」。
 
最後の一文「 言はずして思ひ、疑ひて懼る。是も恋か、心の闇」で終わる。
「心の闇」には「狂おしさ」「異常心理」が含まれてくる。

島崎藤村の「若菜集」(明治30年)の中の「おさよ」という詩には
こんな一節がある。

流れて熱きわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ

乱れてものに狂ひよる
心を笛の音に吹かん
(中略)
愛のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち帰り

悪をわれの吹くときは
散り行く花も止りて

慾の思を吹くときは
心の闇の響あり

うたへ浮世の一ふしは
笛の夢路のものぐるひ

ここでも「心の闇」は「慾の思」や「ものぐるひ」のような狂おしさと
結びつけられている。


最後の一節「慾の思を吹くときは 心の闇の響あり
うたへ浮世の一ふしは 笛の夢路のものぐるひ 」

むむ。昔の私の尺八の音かも。尺八にはそんな響きがある。



「偽装右翼」と「ネット右翼」

2011-09-01 10:10:23 | 虚無僧日記
元公安調査庁の菅沼氏の講演』
「ヤクザの構成員の6割が“”、3割が“在日”」という。

知らなかった。なるほど、組長も、本名は「韓国系」で
あることに驚く。

稲川会会長・ 清田次郎(本名: 辛 炳圭)
合田一家総長・末広 誠(本名: 金 教煥)
極東会会長・ 松山眞一(本名:  圭化)
福博会会長・ 長岡寅夫(本名: 金 寅純)
九州誠道会会長・浪川政浩(本名: 朴 政浩)

右翼の街宣車といえば、軍歌を流して「天皇陛下バンザイ」
「反韓国」と思っていたが、北朝鮮や韓国系の在日が
なにゆえに、右翼暴力団なのか。

先日、フジテレビに対して、ネット右翼たちが、
「韓国寄り」を抗議するデモを行った。その時、
右翼の街宣車が出て、君が代を流し続けた。

これは「韓国寄り」を非難するデモ隊の応援ではなく、
「反韓デモ」への妨害だったのだ。フジテレビの
バックには「韓国系ヤクザ」が付いているのかと
疑いたくなる。

暴力団は北朝鮮からの麻薬が収入源になっている。
暴力団は、「北方四島の返還をロシアに要求はしても、
竹島問題は取り上げない」そうな。

韓国は、国家事業で、映画や音楽グループを日本に
送り込んで、文化的に日本人を懐柔し、その一方で
「日本の右翼はいかに、韓国を毛嫌いし、挑戦的か」を
自作自演し、一般の日本人に、右翼批判を植えつける
画策なのだ、と。

ウーム。ややこしい。そこまで読めなかった。

虚無僧は「幕府の隠密」を自作自演して、一般人の
嫌われ者になった。なんか似ている。