8/30 中日新聞掲載 五木寛之『親鸞』
「念仏して病が治るわけでもない、暮らしが楽に
なるわけでもない。ならば、なんのために念仏を
唱えるのか」という民衆の疑問に、親鸞は子供の頃の
体験を語りだした。
「9歳の時、比叡山の奥深くにある横川(よかわ)まで、
重い荷物を届ける役目を仰せつかった。
夜になり、月の光を頼りに深山幽谷の山道を登る。
月が陰れば、漆黒の闇。崖伝いの道を這うように
進んでいったが、滝壺の音が聞こえ、手足がすくんで、
一歩も前へ出られなくなってしまった」と。
私も経験ある。南木曽から大平峠を越える時、夜に
なった。最初は月が出ていたが、雲で月が陰ると、
一寸先も見えない。自分の足元も見えないのだ。
山道は曲がりくねり、すり足で進むが、道の両側に
生い茂る草木が体に触れ、蜘蛛の巣が顔にかかる。
気持ち悪く、不安で全く先に進めなくなった。
そこで身動きせず、夜が明けるまで待つことにした。
すると、時折「カサカサ」と草葉が擦れ合う音がする。
鹿か猪か、何かが居るようだ。一睡もできない。
恐ろしい夜だった。
「念仏して病が治るわけでもない、暮らしが楽に
なるわけでもない。ならば、なんのために念仏を
唱えるのか」という民衆の疑問に、親鸞は子供の頃の
体験を語りだした。
「9歳の時、比叡山の奥深くにある横川(よかわ)まで、
重い荷物を届ける役目を仰せつかった。
夜になり、月の光を頼りに深山幽谷の山道を登る。
月が陰れば、漆黒の闇。崖伝いの道を這うように
進んでいったが、滝壺の音が聞こえ、手足がすくんで、
一歩も前へ出られなくなってしまった」と。
私も経験ある。南木曽から大平峠を越える時、夜に
なった。最初は月が出ていたが、雲で月が陰ると、
一寸先も見えない。自分の足元も見えないのだ。
山道は曲がりくねり、すり足で進むが、道の両側に
生い茂る草木が体に触れ、蜘蛛の巣が顔にかかる。
気持ち悪く、不安で全く先に進めなくなった。
そこで身動きせず、夜が明けるまで待つことにした。
すると、時折「カサカサ」と草葉が擦れ合う音がする。
鹿か猪か、何かが居るようだ。一睡もできない。
恐ろしい夜だった。