現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

台風情報

2011-09-21 21:11:04 | 虚無僧日記
昭和29年(1954)の「洞爺丸台風」の時は、気象レーダーも
衛星GPSも無かった。移動速度100kmという違例の速さ
だったのが、北海道に近づくと、急に速度をゆるめるという、
異常な動きをした。それが、船長の判断を誤らせたのだ。

現代は、衛星を使って、動きを正確に把握できるように
なった。地域も細かく分けて、予報が出せるようになった。
・・・・・そのはずだが。

名古屋は「午後から暴風雨」というので、学校も休校。
尺八の稽古も、詩吟も休みと あいなった。ところが 
である。「いつ来るか、いつ来るか」と待てど暮らせど、
一向に風も吹かない、雨もパラパラ。そのうち 夕刻には
晴れてきた。「一体なんだったの!」である。

こんなことが過去にも数回ある。私の場合、予報は
いつもはずれ、「台風」よりも「テレビの情報」に
振り回される。

ま、私が居る限り、台風も東海大地震も名古屋には
来ない。いや、その判断が、いつか「ミス」になるかも。

周辺部では、大変な被害のようだ。「自分は護られて
いる」と いつも思う。無事であることに感謝し、
被害に遭われた方に、お見舞い申しあぐ。

戦後5大事故

2011-09-21 12:25:34 | 虚無僧日記
「JR北海道の一連の事故の責任を負って社長が自殺」、
そして「台風15号接近」というニュースから、戦後に
起こった「国鉄5大事故」を思い出した。


①桜木町事故:1951年(昭和26年)4月24日。東海道本線(現・
 根岸線)桜木町駅構内で、工事作業を誤り、垂れ下がった
 架線に列車が接触し短絡(ショート)したことで発生した
 車両火災。死者106人、負傷者92人。工事作業のミス。

②洞爺丸事故:1954年(昭和29年)9月26日。青函連絡船
 「洞爺丸」が台風15号によって沈没。1155人が死亡。
 タイタニック号・サルタナ号に次ぐ世界第3位の海難事故となった。

③紫雲丸事故:1955年(昭和30年)5月11日、宇高連絡船「紫雲丸」が
 貨物船の「第三宇高丸」と衝突し沈没、死者166人、負傷者122人。
 修学旅行中の小学生・中学生が多数死亡した事も世間の非難を買った。

④三河島事故:1962年(昭和37年)5月3日、常磐線三河島駅構内で
 信号無視によって脱線した下り貨物列車に下り電車が衝突、
 さらにそこへ上り電車が突っ込み二重衝突に。死者160人、負傷者296人。

⑤鶴見事故:1963年(昭和38年)11月9日、東海道本線鶴見駅~新子安駅間で
 脱線した下り貨物列車に上りの横須賀線電車が衝突、その先頭車が
 下り横須賀線電車に突っ込み二重衝突となる。死者161人、負傷者120人。


「背景と影響」

これら事故は、いずれも「自然災害」のみならず「人災の要素も強い」
として、国鉄に対する世間の非難を集めた。

いずれの事故も、戦後の復興が ほぼ終わり、高度経済成長期に入った
時に発生したものであり、戦後の急激な輸送量増加対策に追われ、
安全対策がおざなりにされていた事も背景にあるとされる。

最近の「中国の新幹線事故」は、まさに、日本の50年前の様相だ。

現在の鉄道・船舶の安全対策は、これら事故の犠牲の上に築かれた。



不沈信仰

2011-09-21 09:50:14 | 社会問題

洞爺丸は、戦後 すぐ 1947年(昭和22年)に新造された
豪華貨客船だった。

函館湾外に出たところで、強まる風雨に引き返し、
七重浜から700mの沖合いで停泊した。その時、船員は
「この船は安全だから、船室から出ないように」と、
出入口の戸を閉めた。「鍵をかけた」とも。それで、
犠牲を大きくしたという。

助かったのは、制止を無視して甲板に出ていた人たち。
そして、波の流れに任せて七重浜に泳ぎついた人だ。
光を頼りに函館に向かった人たちは 力尽きたという。


「タイタニック」も「戦艦大和」も「武蔵」も「絶対に
沈まない」と誰もが信じていた。

「不沈船信仰」は、船に限ったことではない。
「大企業は絶対大丈夫」と信じて就職したものの、
その大企業がもろくも倒産した。社員は倒産するまで
「絶対 倒産しない」と信じていた。

私などは、会社が倒産する2年前に、会社に見切りを
つけて、さっさと退職した。最後まで、会社に残った
人たちは、退職金ももらえず、大変だったようだ。