現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

フジテレビ、秋元優里アナが入院

2011-09-07 22:31:54 | テレビ・映画・芸能人
フジテレビ「ニュースJAPAN」のキャスター、
「秋元優里」が「深頸部膿瘍」のため入院とのこと。

テレビを見ない私でも、その名は覚えている。

3月12日、東日本大震災の翌日、フジテレビで放送された
『報道特別番組』で、菅直人首相の会見を中継した際、

「ふざけんなよ、また原発の話なんだろう、どうせ」(男)、
「だからここからあげられる情報はないんだってば、もぅ」
ア~、笑えてきた」(女)という、問題発言が誤って
流れた。

その女性の声が「秋元優里」ではないかと疑われ、台湾
では 名指しで 報道されたのだが、「彼女が 即座に
否定した」という話しは聞かない。

フジテレビも「放送事故」として謝罪はしたが、当人の
名前は明かさなかった。否定しなければ、認めたも同然か。

それで叩かれ、ストレスで病気になったか。ま、局内でも
目立った存在だったので、こきおろす陰謀とも。
出る杭は打たれるか。ご用心、ご用心。

旧東海道は、岐阜を通らない

2011-09-07 14:44:21 | 虚無僧日記
「東洋文庫」の『シーボルトの江戸参府紀行』で、
「桑名」の項の解説に「これは、ま違いだろう。
わざわざ桑名に 寄り道するはずがない」という
ような記述があったように記憶している。

JR東海道線は、名古屋から岐阜に向かい、
関が原を通って彦根に向かっている。

「関が原の戦い」も、岐阜、大垣と佐和山(彦根)を
結んでの戦いだったから、「東海道」は「名古屋-
岐阜-大垣-関が原-米原-彦根」と、その解説者は
思いこんでいたようだ。

「東海道・国道1号線」は、名古屋市の南を東西に
走り、三重県の桑名、四日市、亀山から北へ抜けて、
滋賀県の水口、草津、大津へと至る。今の「第二名神」。

私も、名古屋に来て知った。旧東海道は、熱田神宮の
南側「宮の渡し」で 消えていたのだ。

ここからは 海上を桑名まで「七里(28km)」、船で渡る。
東海道 唯一の「海上道路」。

船で4時間。女性はトイレに困る。海が荒れれば船酔い
にもなる。女子供は、悪漢に襲われれば 逃げ場が無い。
怪しげな虚無僧と同船すれば、仇討ちかと不気味だ。
東海道最大の難所だった。

そこで、将軍家光が上洛の折、陸路として「佐屋街道」が
造られたそうな。今、私が住んでいる近くを通っている。
虚無僧にはもってこいの街道だ。

というわけで、東海道を往還した旅人は、名古屋城下の
町並みには、足を踏み入れられなかったようだ。




名古屋は「東西南北」が 判らない!?

2011-09-07 14:21:24 | 虚無僧日記
JR東海道(在来)線は、東京から名古屋まで、
ひたすら「西」に向かって走ってくる。そして
名古屋駅の一つ手前の金山で、90度 北 に向きを
変える。

とは知らずに、名古屋駅を降りると、大阪に
向かって右手に降りたのだから、駅の正面は
「北」と勘違いする。

名古屋駅から市内を抜ける三本のメイン道路は
東に向かっているのだ。名古屋に移り住んで、
この感覚に慣れるのに数年かかった。

また、地下鉄の各駅に掲げられている地図は
北の位置がメチャクチャ。「地図の上は“北”」と
いう常識は 名古屋では通らない。「北」が「下」
だったり、右や左なのだ。

ある駅では、北が上の地図と、北が下の地図が
掲げてある。最初に見た地図では、まっすぐに
進めばいいと思っていたのが、次ぎの地図では
後ろに進むようになっているから、旅行者は
頭が混乱する。

どうやら、藩政時代、旅人に「名古屋の城下を
記憶させないようにする、その名残りか」とさえ
思ってしまう。

電話 開通

2011-09-07 13:42:23 | 虚無僧日記
昨晩10時には、電話がつながったので 直ったかと
思ったら、今朝から また つながらない。全く不可解。

今日はTさんの稽古日だが、定刻にみえない。きっと
急用ができて、私に電話してもつながらず、困っている
ことだろうと、気がきでない。

1時間遅れてみえた。やはり、急病人が出て、電話を
したが つながらなかったとのこと。でも、昨晩の私の
ブログを見て「電話が不通」と わかっていたと。
ブログも役にたった。

鈴花が、スターキャットに電話を入れてくれ、昼前に
工事の担当者がみえた。不通の原因は、マンションの
「共聴受信機」の不具合とのことで、20分ほどで、
解決した。


ということは、スターキャットは 7月に 全戸訪問して
営業していったはずだが、それに「ハイハイ」と
応じて NTTから切り替えたのは、私だけだった
ということか。

今や、皆 ケータイを持っていて、家庭電話は
ほとんど「無用」になってきた。電話が不通になって
困ったのは私だだったのか? ケータイの無い私は、
ますます 世の中から疎外されたような“不安”に、
落ち込む。