現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

成人後見人の着服多発に思う

2011-09-16 23:47:22 | 社会問題
高齢者らの後見人、不正で解任増加…財産着服等(読売新聞) - goo ニュース

認知症などで判断力が衰えた高齢者らの財産を守る
後見人が、着服横領などで解任されたケースが、
昨年1年間で286件。

どうせ そうなるだろうと、思っていた。

武蔵野市だったか、「身寄りの無い老人の世話をする
変わりに、その財産をすべてもらうことができる」
という制度を作ったとか、以前聞いたことがある。

「一人っ子」にはじまり、結婚しない、子供がいない、
相続人のいない独居老人が増えている。私の身近にも
居る。

遺産目当てに飛びつきたい話だ。でも認知症になったり
いよいよ末期の時、誠心誠意 面倒みれるのか、私自身
自信はない。

一人では不安なので、NPO法人化して、グループで
交互に介護するということもあるらしい。そして、
いよいよ亡くなられたら、その人の財産が、その団体の
ものとなる。やはり「死を待つ」ようで、お互いイヤ
だろう。制度化できても、心の問題が難しい。



多治見市

2011-09-16 19:30:11 | 虚無僧日記
2007年に 40.9℃を記録して「日本一暑い町」として
有名になった「多治見市」。相変わらず、連日35℃の
猛暑。

愛知県からは 内々津(うつつ)峠を越えた岐阜県側の町。

今朝(9/16)の中日新聞に「平安期の仏画が描かれた陶器
が発見された」とあった。「1万7千点もの陶器片が
出土し、その中の一つ」という。

多治見が平安の昔から窯業の盛んな地だったことが判る。

鎌倉末には、夢窓疎石により、虎渓山永保寺が建てられ
ていた。永保寺に行った時は、「なんでこんな山奥に・・・」
と思ったものだが、多治見は 鎌倉、室町の頃も、信州と
尾張を結ぶ中山道の要所として栄えていたようだ。


私の先祖の3代目は「牧原多治見」という。名前に
「多治見」とは珍しい。なぜ「多治見」という名前に
したのだろうか。1682年生-1739年歿(57歳)

「多治見」は そんな関心をもって 虚無僧で何回か行き、
いろいろ調べてみた結果、

「多治見」が全国的に知られるようになるのは、江戸時代の
中ごろ、陶器の集積地となり、ここから全国に出荷された
からのようだ。

会津には「本郷焼」という窯元がある。これは、1645年、
瀬戸から陶工の水野源左衛門がやって来、藩主保科正之の
庇護のもと、本郷村に原土を発見して、窯を開いたと
されている。本郷焼は東北で最古の(最初の)窯だそうだ。

瀬戸と多治見は隣り合わせだが、会津ではすでに窯業が
始まっていたわけで、多治見との関係がわからない。

では、わが先祖は「多治見」にどんな思いがあったのだ
ろうか。推理しながら小説にしたいと思っている。


片付けたくとも片付けられないのは

2011-09-16 10:41:56 | 虚無僧日記
「断捨離(ダンシャリ)」の「やましたひでこ」のメルマガ。

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片づけられないことを、 心の大きな負荷、重荷にしている
人のあまりの多さに、暗澹たる気持ちになる。
その訴えは、重症化している。 片づけたくても、
片づけようとしても、「身体が動かない」と言う。

「動けない」。 「動かない」。
「これ以上、私を責めないで」と思っている。

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というような内容。私の母もまさにそうだ。

子供の頃の我が家の写真を見ると、畳と襖、障子しか
写っていない。床の上には何も無かった。

卓袱台(ちゃぶだい)は 折りたたみ式で、食事の時間に
なると、出してきて置いたものだ。

それが今は、テーブルに椅子5脚。(一人暮らしなのに)。
テレビの前にも椅子。冷暖房器具に空気清浄機、健康器具。
掃除機も大中小3台も。そして膨大な紙やポリ袋、布切れ
に紙袋。

捨てればいいのに、捨てられないから、「片付けたいのに
片付けられない」と、ますますストレスを高じさせて、
体が動かない状態に陥っている。

誰も責めていないのに、「責められる」という恐怖に
怯えている。なんとも気の毒。


昨今、独居老人の家が、不用品であふれ、ゴミ屋敷に
なっている話をよく聞く。事実、私も何人か知っている。
おそろしや、おそろしや。ああならないように、体も
心も健康なうちに「断捨離、だんしゃり」。

捨てられるのは、心も体も健康な証拠だ。