現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「梶田昌艶」先生 追悼演奏会

2011-09-23 19:50:48 | 虚無僧日記
9/23 お彼岸の今日「梶田昌艶先生・追悼演奏会」が
無事、盛大に執り行われた。会場は満席、会員は皆
立ち見という盛況さだった。

箏の「梶田昌艶」先生は、戦災で家が焼かれた時、
箏だけ持って逃げたとか。戦中、戦後の混乱の中、
宮城道雄に師事し、昭和21年17歳で師範免許を得て
開門。昭和23年 19歳でNHKラジオに初出演し、
昭和26年 東京新聞主催の「邦楽コンクール」で
『秋は来ぬ』が入賞。22歳。

名古屋から東京まで、まだ蒸気機関車が走っていた
時代。娘一人、お琴を担いで、夜行列車で8時間
かけて、東京-名古屋を往復していたのだ。お箏に
かけるその情熱はすごい。その後、今年3月事故で
急逝されるまで、300曲以上もの曲を創作、編曲された。

その中から、どの曲を選ぶか、大編成の曲や難曲を
誰が演奏するのか、メンバーの選定には、苦労した
ようだ。

梶田先生の華々しい芸暦を追ってプログラムが
構成され、コーラスも加わっての数十名総出演
での大合奏曲『小諸詩情』で幕となった。

不思議と涙が出なかったのは、先生が亡くなられた
ことが、まだまだ実感できないからであろうか。
そういえば「遺影」も飾らない“違例”の追悼
コンサートだった。「これでいい」と先生も喜んで
おられることだろう。

彼岸

2011-09-23 05:51:20 | 虚無僧日記
「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、今朝は寒くて
3時に目が覚めた。昨日は、汗ばむ一日だったのに、
秋は確実にやってくる。

気が付けば、あちこちで「彼岸花」が咲いていた。
赤い「曼珠沙華」。残暑で秋はまだまだと思って
いたのに、いつのまに咲いたのかと驚く。


今日は、箏の「梶田昌艶」先生の「追悼演奏会」。
本来なら「梶田昌艶・開軒65周年祝典演奏会」
のはずだったが、3月、事故で急逝され、門下生
による「追悼会」となった。

まだ亡くなられたという実感がしない。何か複雑な
思いで、さて、では行ってきます。


小牧山へ

2011-09-23 04:04:39 | 虚無僧日記
名古屋の北 20km ほどのところ。濃尾平野の一画に
小高い山がある。「小牧山」だ。秀吉と家康が対決
した「小牧・長久手の合戦」で、徳川方の陣地と
なった。

もとは、信長が清洲からここに城を移し、美濃への
攻略の足がかりとし、4年で 岐阜へ移っていった。

その「小牧山」に行ってきた。山頂に、三層の“城”
らしきものがあるが、昔在った城を復元したものでは
ないので「小牧城」とは云ってはいけないことになって
いるそうな。(文部科学省の「お達し」で)。

「歴史館」となっていた。10年前は、やすやすと登れた
のが、10年、歳老いたか、暑さもあって、フーフー
息しながら、やっと登ると、なんと「木曜休館日」との
こと。

私の他、数人の人が登ってきて「まさか」にがっかり。
トヨタ関連でもあるまいに。海部市美和町から来たと
いう男性に声をかけたら、歴史好きで、歩いて各地を
廻っているとのこと。歳も私と同じ。すっかり意気投合
して30分ほど話し込んだ。

帰途、メナード美術館で休息。久しぶりに「名画」を
観賞。来館者はほとんどいない。ぜいたくな空間と
時間を過ごすことができた。