名古屋から木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)を
越えれば 桑名です。今はJR東海道線が、名古屋から
北に岐阜方面へ向かうため、忘れられがちですが、
桑名は 東海道の宿場町でした。
名古屋の熱田の「宮」から 桑名の「七里の渡し」までは、
伊勢湾を 船で渡る海上航路でした。「七里」ですから
28km。船に揺られて4時間。女性にとってはトイレを
我慢しなければならず、船酔いもするし、苦痛の難所だった
ようです。
三代将軍「家光」が上洛の際、家光が船酔いを嫌ったのと、
警備上の問題で、陸路の佐屋街道が設けられたのでした。
「その手はくわなの焼き蛤」。桑名といえば蛤。
ま、それぐらいが有名で、桑名藩のこととなると、
会津ほど話題にはなりません。
私も、桑名藩主は、寛政の改革の「松平定信」の系譜とは
知りませんでした。「松平定信」は福島県の白河藩主で
「白河公」と呼ばれていました。
『桑名の殿さま ヤンレー ヤットコセー ヨーイヤナ
桑名の殿さん 時雨で茶々漬 ヨーイトナー アーレワ
アリャリャンリャン ヨイトコ ヨイトコナー」と歌う
民謡の「桑名の殿様」は、「松平定信」のこととも、
いやいや、明治のお大尽(豪商=諸戸清六)のこととも。
東京の料亭で盛大な酒宴を行い、芸者衆と大いに遊んだ
桑名の大旦那衆が、宴会の最後に桑名名産の「時雨蛤の
茶漬け」を食べた様を唄にしたのが『桑名の殿様』だそうです。
越えれば 桑名です。今はJR東海道線が、名古屋から
北に岐阜方面へ向かうため、忘れられがちですが、
桑名は 東海道の宿場町でした。
名古屋の熱田の「宮」から 桑名の「七里の渡し」までは、
伊勢湾を 船で渡る海上航路でした。「七里」ですから
28km。船に揺られて4時間。女性にとってはトイレを
我慢しなければならず、船酔いもするし、苦痛の難所だった
ようです。
三代将軍「家光」が上洛の際、家光が船酔いを嫌ったのと、
警備上の問題で、陸路の佐屋街道が設けられたのでした。
「その手はくわなの焼き蛤」。桑名といえば蛤。
ま、それぐらいが有名で、桑名藩のこととなると、
会津ほど話題にはなりません。
私も、桑名藩主は、寛政の改革の「松平定信」の系譜とは
知りませんでした。「松平定信」は福島県の白河藩主で
「白河公」と呼ばれていました。
『桑名の殿さま ヤンレー ヤットコセー ヨーイヤナ
桑名の殿さん 時雨で茶々漬 ヨーイトナー アーレワ
アリャリャンリャン ヨイトコ ヨイトコナー」と歌う
民謡の「桑名の殿様」は、「松平定信」のこととも、
いやいや、明治のお大尽(豪商=諸戸清六)のこととも。
東京の料亭で盛大な酒宴を行い、芸者衆と大いに遊んだ
桑名の大旦那衆が、宴会の最後に桑名名産の「時雨蛤の
茶漬け」を食べた様を唄にしたのが『桑名の殿様』だそうです。