桑名城の北 300m、伊勢湾に面して「六華苑」という
広壮な邸宅があります。桑名の実業家「諸戸清六」の邸宅で、
明治44年に着工、大正2年に竣工したものです。
日本家屋は岐阜県海津町の「高須藩」の陣屋を移築したもの。
洋館部分は、鹿鳴館等を建てた「ジョサイア・コンドル」の
設計。洋館と和館は国の重要文化財に指定されています。
現在、桑名市の所有となり、「六華苑」として公開され、
琴の演奏などのイベントが開催されています。昨年と今年の
正月、鈴花がここで琴を弾きましたので、見に行きました。
諸戸家は 信長の時代から、木曽崎の庄屋でしたが、初代
清九郎が始めた塩問屋に失敗して 身代を潰した事から、
弘化4年(1847年)桑名に移住。
安政7年(1860年)に父・清九郎が亡くなった為、
「清六」は18歳で家督を継いだ。その時の家財は
わずかな布団や衣類などで、借金は千両以上あったと言う。
清六は、寝る間も惜しんで 米の仲買に励み、僅か3年で
借金を完済。明治9年(1876年)の西南戦争で、軍用御用
(兵糧調達)を勤め、多くの政府要人や岩崎弥太郎の
信頼を得て、明治11年(1878年)には大蔵省御用の
米買付方となった。
借金返済にあたって自ら定めた「心得二十カ条」では、
時間を無駄にする事と、無駄金を使う事を極端に戒めている。
・熱き飯は食ふに手間取り時間を空費するゆえ、飯は冷飯にすること。
(まさに“冷や飯喰い”の生活だった)
・ 昼飯は一口に食し得る程の握り飯 二、三個を作りおき、
其の場にて用向きの隙間に食すこと。
(私も、昼食はおにぎり一個。3分)
・ 多忙の時は食せざること。一、二度の食事を省きて
空腹を覚ゆるようにては 金は儲らぬと知るべし。
などと記している。私も 金貯まるかな?
広壮な邸宅があります。桑名の実業家「諸戸清六」の邸宅で、
明治44年に着工、大正2年に竣工したものです。
日本家屋は岐阜県海津町の「高須藩」の陣屋を移築したもの。
洋館部分は、鹿鳴館等を建てた「ジョサイア・コンドル」の
設計。洋館と和館は国の重要文化財に指定されています。
現在、桑名市の所有となり、「六華苑」として公開され、
琴の演奏などのイベントが開催されています。昨年と今年の
正月、鈴花がここで琴を弾きましたので、見に行きました。
諸戸家は 信長の時代から、木曽崎の庄屋でしたが、初代
清九郎が始めた塩問屋に失敗して 身代を潰した事から、
弘化4年(1847年)桑名に移住。
安政7年(1860年)に父・清九郎が亡くなった為、
「清六」は18歳で家督を継いだ。その時の家財は
わずかな布団や衣類などで、借金は千両以上あったと言う。
清六は、寝る間も惜しんで 米の仲買に励み、僅か3年で
借金を完済。明治9年(1876年)の西南戦争で、軍用御用
(兵糧調達)を勤め、多くの政府要人や岩崎弥太郎の
信頼を得て、明治11年(1878年)には大蔵省御用の
米買付方となった。
借金返済にあたって自ら定めた「心得二十カ条」では、
時間を無駄にする事と、無駄金を使う事を極端に戒めている。
・熱き飯は食ふに手間取り時間を空費するゆえ、飯は冷飯にすること。
(まさに“冷や飯喰い”の生活だった)
・ 昼飯は一口に食し得る程の握り飯 二、三個を作りおき、
其の場にて用向きの隙間に食すこと。
(私も、昼食はおにぎり一個。3分)
・ 多忙の時は食せざること。一、二度の食事を省きて
空腹を覚ゆるようにては 金は儲らぬと知るべし。
などと記している。私も 金貯まるかな?