現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

桑名の服部半蔵

2013-03-09 21:11:25 | 「八重の桜」
伊賀上野と言えば「忍者ハットリくん」の「服部半蔵」。
その子孫が、なんと桑名藩の家老になっていました。
 
初代「服部半蔵正成(まさなり)」は、徳川家康に仕え、
江戸城で今の残る「半蔵門」に屋敷がありました。
(東京の地下鉄「半蔵門線」は服部半蔵に由来しています)

初代「正成」の子「正就(まさなり)」は、不祥事を
起こして、家康の勘気を蒙り追放された。その妻が
「桑名藩主松平定勝」の娘であったため、妻は三人の
子供を連れて 実家の桑名に戻り、子らは松平家の
親族として重用されたのでした。

十二代目の服部半蔵正義」は 弘化2年(1845)生れ。 
慶応元年(1865年)、21歳で 家督を継ぎ、家老となる。
当時、桑名藩主の松平定敬(さだあき)は 京都所司代
でしたから半蔵も京都で藩主の側近として仕えた。

慶応4年(1868)正月、鳥羽伏見の戦いで敗走。
桑名の城内では、恭順派が官軍に降服して、城を
焼かれたため、城に入れず、大坂から江戸を経て、
桑名藩の飛び地「越後柏崎」へ。さらに、庄内
(山形県鶴岡市)へ転戦し、そこでで降伏しました。

明治2年、庄内を出発し、東京を経て桑名に帰還。
半蔵は桑名藩大参事や第三大区長(桑名郡長)などを
務めましたとさ。

明治天皇は松平定信の血筋!?

2013-03-09 20:22:33 | 「八重の桜」
明治天皇は、孝明天皇の第二皇子。生母は「中山慶子」。

「中山慶子」は、大納言「中山忠能卿」と松浦家第34代
「松浦清山」の娘「愛子」との間に出来た娘。

その「松浦静山」の母方の祖母は「松平定信」の娘である。

つまり、「松平定信」-娘-娘-「松浦静山」-「愛子」
-「慶子」-「明治天皇」

というわけで、明治天皇の6代前が「松平定信」となる。
「松平定信」を祖と仰ぐ「桑名藩」にしてみれば、
「明治天皇」とは“縁続き”のはずだった。

鳥羽伏見で「会桑」を主力とする旧幕軍が敗れると、
突如「明治天皇」が颯爽と馬に乗って登場する。
御歳 15歳。中山忠能の屋敷で、母「慶子」の膝元で
女の子のように育てられていた“ひよわ”な御子が、
陽にやけた精悍な風貌で現れたのだ。

なんかおかしい。

昭和4年、かつて宮内大臣として権勢を振った田中光顕が、
「実は明治天皇は孝明天皇の子ではない。後醍醐天皇の子孫で、
長州萩で毛利氏が守護してきた人物。薩長連合には、
この南朝の末孫を天皇にするといとう密約があった」と
述べている。

「孝明天皇毒殺説」は、崩御の直後から流れた。

孝明天皇は妾の堀川紀子(岩倉具視の妹)の屋敷の便所で、
床下にかくれていた長州の下忍「伊藤博聞」の忍者刀に
よってお尻をえぐって殺された。容態を記した記録には
「下血」と記されている。

その子の「睦仁」は、御所に潜入した長州忍者の猿廻の猿に
よって手を傷つけられ、岩倉が買収した医者がその傷口に
毒を塗って殺した」と、生々しい。


山口県柳井市田布施町に住む大室近祐(平成8年没)氏は、
「私は南朝の末蕎であり、明治天皇は祖父の兄・大室寅之祐です」と、
語っていた。

さて、明治天皇が替え玉で、長州の「大室寅之祐」と
なると、「松平定信」の血筋は途絶えていたことになる。

今ならDNA鑑定で明らかになるでしょぅな。


三重県伊賀上野市で

2013-03-09 03:09:16 | 虚無僧日記
Iさんの「藍綬褒章」受章祝賀パーティに招かれて、
伊賀上野まで行ってきました。真道さんの一絃琴と
合奏で、お祝いの曲を一曲。

そのあと「島の原地区の獅子神楽」が披露されました。
獅子は二人、それに鬼の面を被った子供が三人
からみます。子供たちが頭に乗せているのは、
雉(きじ)をあしらった被り物。安土桃山時代の
屏風絵に描かれているようなものです。

そして鳴り物に太鼓と鉦。そして驚いたのが「縦笛」
でした。長さは40cmほど。カタチは江戸時代初期の
「三節切(みよぎり)尺八」。細長い竹です。

それを中学生の青年が上手に いともカンタンに
吹きこなしているではないですか。

演目が終わって、見せてもらったら、なんと
リコーダーと同じ仕組み。尺八の歌口から上に
20cmほどの筒を付け、吹けば鳴る仕組み。
手孔は筒の下の方に6個。それで結構高い音で
神楽の横笛のような音が出ます。

メンバーの一人が考案して作ったとのこと。
すばらしい! これなら、誰でもたやすく覚えられ、
伝統を継承できる。尺八や横笛では吹き手がなかなか
育たない。



ロシアから招待状が

2013-03-09 02:42:56 | 虚無僧日記
facebookに、モスクワのサーシャからメールが!。
なんと、「チャイコフスキー記念モスクワ音楽院」で
開催される「日本の心音楽祭」への出演依頼でした。

8年ほど前、詩吟の尺八伴奏で着いて行って、
そこでサーシャ(本名はAlexander Iwashin)に
会いました。その頃はまだ「モスクワ音楽院」の
貧乏学生でしたが、尺八に夢中で、日本の尺八家
のCDや楽譜などほとんど取り揃えていました。
今や、尺八講師として活躍しているようです。
Youtubeで見ると、紋付袴姿や虚無僧姿で、
日本人になりきって?大まじめに尺八を吹いて
います。

「音楽祭」は9月7日から12月23日まで開催され、
その最終日を飾るコンサートに、私単独で出演。

時間は60~90分とのこと。まったくびっくり仰天。
うれしいことですが、はたして、尺八ソロで
観客に満足いただけるのだろうか。

日本では、「一休さん」の話やら 虚無僧体験談を
織り交ぜての1時間半ですが、ロシア人には通じるの
だろうか。コンサートの他に、「数人いる尺八愛好家の
ためにレッスンも」とのこと。今からロシア語も
勉強しなくては。

一応「了解」と返事をしましたら、
「日本での天皇誕生日という祝日に ロシアで御披露して
いただけることを、本当に嬉しく思っております」と
メールがきました。「天皇誕生日」ということも知って
いるとは、これまた驚き。