上野公園の精養軒横に「上野の大仏」があるそうな。
受験シーズンを迎えると、参拝客でにぎわいをみせる
という。
上野大仏は江戸時代の初期、1631年に建立された。
しかし1647年の地震、1841年の火災、1855年の地震
などの災難に見舞われ、首や顔などの部分が破損、
その都度修復が行われたが、1923(大正12)年の
関東大震災で4度目の崩壊。首と胴体が離れたまま
になり、太平洋戦争さなか、胴体部分は軍に供出されて
しまった。そして、1972(昭和47)年に残存していた
顔だけが、元の場所にレリーフとして安置された。
度々の災難を乗り越えた大仏。「これ以上(首が)
落ちない」ということから、「合格大仏」として
PRに努めたところ、数年前から合格祈願の参拝者が
増えたとのこと。
どおりで、上野の精養軒は、毎年「会津会」の会場
になっていて、よく行ったものだが、この大仏に
ついては知らなかったわけだ。
昨日「(社)実践倫理宏正会」の「東海地区春季大会」が、
行われた。広会長の講和で、冒頭、この「上野の大仏」の
話が出された。「最近の若者は、必死に高い目標に
向かって努力することをせず、“落ちなければいい”と
安全に甘んじ、このような“気休め”に頼っている。
“勤勉”や“努力”は誰でも口にするが、幕末、明治に
名を馳せた者たちの身命を賭した必死の生き様には
及ぶべくも無い。「努力、勤勉は高い目標と、あくなき
向上心が伴われなければならない」と。
受験シーズンを迎えると、参拝客でにぎわいをみせる
という。
上野大仏は江戸時代の初期、1631年に建立された。
しかし1647年の地震、1841年の火災、1855年の地震
などの災難に見舞われ、首や顔などの部分が破損、
その都度修復が行われたが、1923(大正12)年の
関東大震災で4度目の崩壊。首と胴体が離れたまま
になり、太平洋戦争さなか、胴体部分は軍に供出されて
しまった。そして、1972(昭和47)年に残存していた
顔だけが、元の場所にレリーフとして安置された。
度々の災難を乗り越えた大仏。「これ以上(首が)
落ちない」ということから、「合格大仏」として
PRに努めたところ、数年前から合格祈願の参拝者が
増えたとのこと。
どおりで、上野の精養軒は、毎年「会津会」の会場
になっていて、よく行ったものだが、この大仏に
ついては知らなかったわけだ。
昨日「(社)実践倫理宏正会」の「東海地区春季大会」が、
行われた。広会長の講和で、冒頭、この「上野の大仏」の
話が出された。「最近の若者は、必死に高い目標に
向かって努力することをせず、“落ちなければいい”と
安全に甘んじ、このような“気休め”に頼っている。
“勤勉”や“努力”は誰でも口にするが、幕末、明治に
名を馳せた者たちの身命を賭した必死の生き様には
及ぶべくも無い。「努力、勤勉は高い目標と、あくなき
向上心が伴われなければならない」と。