虚無僧の原型は、室町時代の「薦僧」だった。
「薦(コモ)筵(ムシロ)」を抱えて放浪し、薦を敷いて
路地に寝るから「薦僧こもそう」と呼ばれた。
乞食に施しをすれば「徳積み」になるという風習が
あったから、コモ(乞食)も仏徒とみなされた。
江戸時代になって、たくさんの浪人が出た。
そのあぶれ者が「薦(コモ)」となって、尺八を吹いて
門付けし、糊口をしのいだ。再仕官叶うまでの
方便の姿だった。武士のプライドも捨てきれず、
深編み笠で顔を隠し、刀を差して、尺八を吹いた。
それがやがて「虚無僧」と「僧」を名乗るならばと
刀は禁止され、独特の深編み笠が考案された。
この奇抜なスタイルが歌舞伎でも取り上げられる
ようになると、錦絵などでは、花嫁衣裳のような
絢爛豪華な綿入れを着た「伊達虚無僧」も登場する。
でも『明暗』と書いた「偈(ゲ)箱」は、江戸時代に
は無かった。これが登場するのは、昭和30年代、
映画のスクリーンの中からなのだ」
そこで、現代には現代のスタイルがあっていいと
いろいろ模索している。
「薦(コモ)筵(ムシロ)」を抱えて放浪し、薦を敷いて
路地に寝るから「薦僧こもそう」と呼ばれた。
乞食に施しをすれば「徳積み」になるという風習が
あったから、コモ(乞食)も仏徒とみなされた。
江戸時代になって、たくさんの浪人が出た。
そのあぶれ者が「薦(コモ)」となって、尺八を吹いて
門付けし、糊口をしのいだ。再仕官叶うまでの
方便の姿だった。武士のプライドも捨てきれず、
深編み笠で顔を隠し、刀を差して、尺八を吹いた。
それがやがて「虚無僧」と「僧」を名乗るならばと
刀は禁止され、独特の深編み笠が考案された。
この奇抜なスタイルが歌舞伎でも取り上げられる
ようになると、錦絵などでは、花嫁衣裳のような
絢爛豪華な綿入れを着た「伊達虚無僧」も登場する。
でも『明暗』と書いた「偈(ゲ)箱」は、江戸時代に
は無かった。これが登場するのは、昭和30年代、
映画のスクリーンの中からなのだ」
そこで、現代には現代のスタイルがあっていいと
いろいろ模索している。