現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

世阿弥の名言「住する所なきを」

2017-01-10 05:43:36 | 虚無僧日記
住する所なきを、まず花と知るべし

「住するところなき」とは、「留(とどまら)ない」という意味。

停滞することなく、変化することこそが芸術の中心である。

尺八本曲に「無住心」という曲がある。「住むところが無い」

ではなく、「とどまらざる心」。意味は同じ。

 

よき劫の住して、悪き劫になる所を用心すべし

劫とは「功績」の意で、「良いとされてきたことに安住すると、

それがむしろ悪い結果になってしまうことに用心せよ」という意味。

世の中の変化と関わりあっていくのが人間であり、芸術である。

世の中の変化の中で、変化することを恐れず、「停滞しない」

ものこそが「花」であると、世阿弥は喝破している。

 

尺八もそうだ。時代とともに変化してこそ、伝承される。

昨今、尺八界は富みに変貌を遂げている。

童(わらわ)も、今年は変貌するべい。

「あっと驚く為五郎!」  (やっぱ古いね)


芸事を極めるには(「徒然草」)

2017-01-09 11:25:30 | 虚無僧日記

『徒然草』 

・ 第百五十段

 能をつかんとする人、「内々よく習ひ得てさし出でたらむこそ、

いと心にくからめ」と常にいふめれど、かくいふ人、一藝もならひ

得ることなし。(以下略)

現代語訳すると、

芸事を身につけようとする人は、とかく 「ヘタなうちは 誰にも

見せたくない。こっそり練習して、ある程度上達してから、人前で

披露したい」 と 言うけれど、そういうことを言っている人で 

最終的にモノになった例はひとつもない。

まだ未熟でヘタクソな頃から、ベテランに混ざって、バカにされて

笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、やがて

バカにしていた人たちを遙かに超えて、達人になっていく。

いま「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、

けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、その道を

一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることが

出来るようになった。どんな世界でも、同じである。

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はい、私もそう思います。とかく初心者は、「独りで練習して、少し

上達してから(習いに)来ます」なんて云うが、それで上達したタメシは

ありません。私など、15歳の時から舞台に立ち、本番で恥をかきながら

プロの技を身につけてきました。つたない芸でも、温かく見守り

拍手してくださった観客のみなさんこそ、私の師匠です。

まだまだ、今でもそうです。

 


ピコ太郎が13年前「マネーの虎」で世界進出の夢を語っていた

2017-01-07 17:02:54 | 虚無僧日記

https://youtu.be/4f_hOVxuGEE

 

今をときめく「ピコ太郎」の正体は「古坂大魔王」、といわれても

私は知らない。「ボキャブラ天国」に出演していたお笑い芸人と

いわれても判らない私。13年前『マネーの虎』に出ていた時の

映像が YouTube にアップされていた。

当時の古坂はいたって真面目な青年。「お笑い芸人から脱却して

音楽で世界に飛躍したい。さしあたってイギリスに行って一旗あげたいので

その費用700万円を投資してほしい」という願い。

社長連中は 古坂の才能を認めながらもマネー成立にはならず。

「今の実力では イギリスでは無理」

「イギリスに行ってどうのするより、招かれる存在になったら?」

というコメントが私の心にも響いた。

古坂も、ここで夢をそがれたことで、また発奮。13年後に

みごと変身して、今や「世界のピコ太郎」となった。

本人は「ビックリ。こんなにフィーバーするとは思っても

いなかった」と云うが、ここまで来るまでに、CM音楽の制作など

さまざまなことをやり、自分を磨いてきた。

正に「一途に念じて 行動していれば いつかは 花ひらく」の

稀なる成功話。大いに称賛。一発ヒットに淡い期待を持った人も

多いことだろう。私もその一人。


「中国人の賢さ、日本人の愚かさ」?。 自滅記事

2017-01-07 08:25:49 | 虚無僧日記

  • 画像ID 452475
 
写真を大きなサイズで!
 
中国のインターネット上に、「日本人の“愚かさ”と中国人の“賢さ”」と
題する文章が掲載された。写真は日本の改札。 
 
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日本の地下鉄の駅の改札には、頑丈な柵のような設備や、乗客を監視する職員はいない。
そのため、日本では無賃乗車が容易である。大手を振って正面突破をすれば、
何事もなく地下鉄に乗り込むことができる。 

だから、無賃乗車をする客は後を絶たない。日本人はバカだな。もっと頑丈な装置を
設置すれば、無賃乗車をする人なんていなくなるだろうに。それに、改札で誰も監視
していないなんて。
 
中国人は確かに賢い。他人よりも得をしたり、規則の穴を見つけるのに長けている。
 
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という内容。はて、日本では無賃乗車なんかする人はいない。
日本人は「性善説」。信用を重んじる。それを“愚か者”と言う中国人は、ますます
世界の笑いもの、嫌われ者になるか。
 
最近、日本を旅行した中国人の“驚きの感想”が たくさんアップされている。
どれも、信用、礼節を重んじる親切な歓迎ぶりを絶賛している。
 
それをいいことに、中国からの窃盗団が多数来ているとか。騙されやすい日本人。
騙されても “気にしない、気にしない、平気平気” の心は、見上げたものでござる。
世界に誇れる日本人。
 

「コミュニケーション力」 コンビニの場合

2017-01-06 11:43:20 | プロとアマ

近年、「コミュ力」(コミュニケーション 力)が大切と
さかんに言われるようになりました。

昔は、必要なモノ(ニーズ)があって、それを求めて
買いに行った。店の店員の応対がどうあろうと、必要な
モノが手にはいれば、それで良かった。満足した。

バブル期、店員とのコミュニケーションをとるのが
うっとおしいと、自動販売機や、スーパーのレジで
無言で支払いを済ませる傾向となった。

その流れで“コミュニケーション”をとるのが下手に
なった。最近はその反動が起きているという。

乱立ぎみの「コンビニ」。出勤前や帰宅時、駅を降りて
無意識にコンビに入る。その時の店員の応対次第で、
つい何かを買ってしまう。

逆に、店員の応対が気にいらなければ、何も買わずに
他店に行くことも。

私もそうだ。「コピー借ります」「トイレ借りま~す」と
入っていって「どうぞ」と快い返事が返ってくれば、
「何か買わなければ悪い」と思う。逆に全く無視されると、
「買うもんか」と思ってしまう。

名古屋は 50m圏内にコンビニが3軒もあったりする。乱立
競争激化の地域なので、店員の資質がモノを言う。つぶれる
店も多い。私が不快に思った店は みんなつぶれている。


ところが、最近、外国人の店員が多くなって

こんな 笑えるおかしな ミス連発。

「宛名は上様で」と頼んだら「ウカサマデイ」と書かれた。

「白紙で」と云ったら「ハクシデ様」に

「但し書きは」と聞かれて「品代」と 答えたら」「シラナイ」。

 


一流の店はお客に感想など求めない?

2017-01-06 11:37:32 | 虚無僧日記

一流のレストランのシェフは、お客にいちいち感想を求めない」という

ブログネタがあったので、コメントしよう。

自分の出す料理に自信があるから、感想を聞かないのかと思ったが、

さにあらず。この例は、「オープンキッチンで、カウンター越しにお客の

反応を見ていれば判るので、感想を聞かない」というもの。なるほど。

カウンター内で料理をするような店は、寿司屋や大衆割烹ぐらいで、

一流レストランとは思えないのだが、はて。

ファミレスなどでは、テーブルにアンケートが置いてあったりするが、

流行っている店は、店長みずから、お客の注文をとり、料理を運び、

レジを打つなど忙しく店内を駈けずり回っている。あるいは、一箇所に

立って、お客と従業員の動きに くまなく目を光らせている。

こうして、お客の反応を見て、改善すべきところは改善している。

流行っていない店は、従業員は 暇だからおしゃべりに夢中で?、

お客が入ってきても 気がつかない。テーブルについても、しばらく

水もメニューも持ってこない。こういう店こそ、アンケートに書いて

やりたいところだが、そんなものもない。二度と行かなければ

いいだけ。

この時節、閑散としているレストランが多い一方で、 

外に行列ができるほど流行っている店もある。この明暗は

ひとえに、顧客のニーズをいかにキャッチして、その要望に

応えるかの感性なのだ。

 

 


18歳と81歳の違い 

2017-01-06 05:43:29 | 虚無僧日記

 以前「笑点」のネタが話題に。再掲です。正月初笑いはこれで

 「18歳と81歳の違い」

 ・道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才

・心がもろいのが18才、骨がもろいのが81才

・偏差値が気になるのが18才、血糖値が気になるのが81才

・受験戦争を戦っているのが18才、アメリカと戦ったのが81才

・恋に溺れるのが18才、風呂で溺れるのが81才

・まだ何も知らないのが18才、もう何も覚えていないのが81才

・東京オリンピックに出たいと思うのが18才、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81才

・自分探しの旅をしているのが18才、出掛けたまま分からなくなって皆が探しているのが81才

・「嵐」というと松本潤を思い出すのが18才、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81才

 

これについて、ネット上のコメントがまた面白い。

・81歳では戦争中10代前後なので、アメリカと戦っていません。

 81歳が戦ったのは「戦後の貧困」です。

・恋で胸を詰まらせるのが18歳、餅で喉を詰まらせるのが81歳

・社会に旅立つのが18歳。あの世に旅立つのが81歳


徒然草151段 「50になっても実らぬならば・・・・」

2017-01-05 05:38:12 | 虚無僧日記

徒然草 151段

 「年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。

励み習ふべき行末もなし。老人の事をば、人もえ笑はず。

衆に交りたるも、あいなく、見ぐるし。大方、万のしわざは止めて、

暇あるこそ、めやすく、あらまほしけれ」。

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なんと、 「50才になるまでに上手にならない芸は捨てるべき。

芸事は、50才以上になって習い励んでも、もう先が無い。

老人が若い人たちに交じって練習するのは見苦しいものである」

と断じている。 耳が痛い。長生きするようになって、今や

尺八愛好家の大半が60過ぎであろう。60すぎて、他人様の前で

聞かせられるような腕前まで上達していないならば、やめてしまえ

ということだ。自分ひとり山にこもって吹くならかまわないが、

他人に聞かせるとなると、聞かされる方は迷惑。見苦しいものである。

わが師、堀井小二朗が、「尺八は尺八家によって滅びる。

音程もリズムも悪い尺八を聞かせられては、これでは、誰も

尺八を習う者がいなくなる」と喝破した。

今尺八界は、若い世代の尺八家によって、革新が遂げられつつある。

もう我々老人は引退すべきである。私も今年で引退すっか。


「辛い」という字と「幸せ」は一字違いというけれど

2017-01-05 05:36:05 | 虚無僧日記

「死んでも医者には行かぬ」と嘘吹いていた私だが、昨年10月、

左脇腹と背中が痛み、病院に行ったら「尿管結石」。

「自分で出すしかない」と言われて 毎日水を1.5リットル飲んだら、

3日で石が出た。薬も飲まず、治療もせず、自力で治したことになる。

だがその際、レントゲンで胆石があることが判った。それも5.6cm。

「いずれ痛くなったら病院に行けばいい」とのこと。いつ激痛に

襲われるか、爆弾を抱えているようで、不安の日々。

仕事も約束できない。

でもこれを機会に尺八をやめて、転職しようと思い始めた。

どうせ尺八では食べていけない。今更、尺八界のトップには

なれない。私の築いた山は 所詮ボタ山程度でしかなかった。

これを転機に、他の仕事?で 飛躍したい。もし成功すれば

災い転じて福となるか。

 

すると、先日、Yさんから「息子が脳出血で倒れ、手足不随になった。

これから先どうしていいか、困った」との電話。Yさんは離婚していて

息子と二人暮らし。その頼りの息子さんの方が倒れたのだ。

Yさんも高齢になり、まともな仕事などない。息子さんに 寝たきりに

なられては、生活はますます困難。「一人息子を残して先に行く

わけにもいかない」と。

相談されても、話しを聞いてあげることしかできない私。

「なにが幸で、何が不幸か」なんて講演をさせていただいても、

私の体験など 中身は空しい。

不幸な人は どこまでも 不幸から抜け出せない現実に愕然。


虚無僧三日目 触るといいことある?

2017-01-03 22:35:23 | 虚無僧日記

今日は岡崎へ。東岡崎駅からテクテク北に向かう。人通りはほとんどない。

すると、露地から出てきたお二人の 高齢のご婦人が、私の姿を見て

「おや めずらしい 虚無僧さんだよ」「これは 縁起がいいね」と。

そしてバッグから財布を取り出して ご喜捨。さらに「触らせて

もらうと、何かいいことが・・」と、尺八や袈裟に手を触れて

さすってくれた。そういえば、お地蔵さまなどで、躰の悪いところを

さすると治るなどという迷信がありましたな。

しばらく行くと墓石屋さんの前に金の宝篋印塔が。そしてその下に

「さわってもいいよ」と。この影響かと納得。

そう、虚無僧に賽銭入れたら宝くじが当たったというような噂を

流してくれるといいな。

 

自動代替テキストはありません。

そこで、以前聞いた浄土真宗のお寺での法話を思い出した。

「あなた方、神社にお参りして、お賽銭入れて、何をお願いするん

ですか? 宝くじがあたりますように? 受験 合格しますように?

ですか? 願掛けの絵馬を見ると、東大医学部に合格しますように、

とか京都大学にとか、超一流の大学を目指そうという人が

神頼み? でも、本当に 神様にお祈りしたら、宝くじが当たる

なんて信じていますか? 東大に合格できるなんて信じています?

それなのに、なんでお賽銭入れるんでしょう」と。

なかなかシリアスな問いかけだった。

神様を否定して、仏にすがった方がいいという話しだったのか、

結局は自力、自分の心構え次第という結論だったのか、

よくわからなかったが、宝くじが当たるとは信じてなくても

お賽銭を入れるという心理は何なのか考えさせられた。