「天皇」と在位中でも呼びならわすのは実は明治以降とのこと。
それ以前は「命(みこと)」「帝(みかど)」とか「主上(しゅじょう、おかみ)」「大君(おおきみ、たいくん)」であった。
特に、承久の変で佐渡に流された84代順徳天皇(在位1210年 - 1221年)の後
550年間「天皇」という呼称は使われなかった。
江戸時代の半ば、119代光格天皇(在位1779年 - 1817年)の時、旧に復して天皇という諡号が復活した。
神武以来「命」「帝」「院」と呼ばれていたのをすべて「○○天皇」と置き換えたのは明治維新後のことである。
「天皇」の語は、中国の唐の高宗が674年「天皇」と称したことから、日本では、それを真似て、天武天皇(在位673-686)か持統天皇(在位690-697)が「天皇」と称したというのが定説になっている。
ところが、大和法隆寺の薬師仏光背銘に「池辺大宮治天下天皇」及び「小治田大宮治天下大王天皇」とある。池辺大宮は31代用明天皇(在位585~587)で、小治田大宮は33代推古天皇(在位592~628)であるから、唐の高宗以前から日本で「天皇」の文字が使われていたことになる。
その読みは「みこと」あるいは「すめらみこと」であった。「天皇」の称号が中国由来ならば、その読み方も中国語になるはずだが、「みこと」「すめらみこと」と日本語読みであることに注目したい。
つまり、「すめらみこと」とはなんぞやである。
古い訓読みでは、すべらぎ(須米良伎)、すめらぎ(須賣良伎)、すめろぎ(須賣漏岐)、すめらみこと(須明樂美御德)、すめみまのみこと(皇御孫命)などとも称した。
「スメル」については、『岩波 古語辞典』では、「すめら」(皇)の項で、
サンスクリット「sume:ru」(須弥山)と音韻・意味が一致し、モンゴル語「sümer」(須弥山)と同源であろうとしている。その他諸説あるが判然としていない。
そこで「sume;ru」である。
最近、シュメール語と日本語が共通であること。日本人はシュメール人の子孫ではないかという説が浮上してきた。
シュメール語で「ミガドル(高貴なお方)」。これが 「ミカド(帝)」の語源ではないか。
また「ミコト(尊)」に対して、シュメール語では「マクト(王)」がある。
まさに「スメラミコト」は「シュメールの王」ということになる。