『新明解国語辞典」によると「“死語”とは、かつて
使用され、現在は全く使われなくなった単語で、例、
家庭における“しつけ”」とあるそうです。聞いて
ビックリ。
ネットでも「“しつけ”を死語に」「“しつけ”が
死語になれば世界は平和」というような書き込みが
多数あって、これまた意外でした。
『お母さんは しつけを しないで』(長谷川博一著)と
いう本まで出ています。
「“しつけ”は 児童に対する重大な人権侵害」と云うのです。
人権を侵害されて育った子供は他人の人権を平気で侵害する
人間に育ちます。差別やいじめは、その原因を突き止めると
「しつけ」にある事が明確です。
「しつけをしないと子供が犯罪者になるかもしれない」と
いうのは、真っ赤な うそであり。根拠のない迷信以外の
なにものでもありません。
むしろ しつけをした方が犯罪者になる確率ははるかに
高くなります。
「でも、最小限のマナーみたいなものが必要なのでは?」
と思う人もいるでしょう。勿論必要です。しかし、それは
強制で身に着けるものではなく、自然に身についていくもの
なので、しつけの必要性はまったくありません。
また公共の場で騒ぐ子供を「しつけのなっていない子」と
表現する人がいますが、まったくの事実誤認です。
基本的に子供はうるさいものですが、特に他人に不快感を
抱かせる様な騒ぎ方をする子供の場合、家庭がストレスの場
(しつけが厳しくって)になっている為に、外で発散せざるを
えなくなっているのが事実です。
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そこまで言い切られると、ハアァァァ? の私です。しかし、
「朝起会」でも、後ろで子供が泣きわめこうと、騒ごうと、
全く無視します。「子供の善導は親の倫理実践から」の
標語が掲げてあり、子供が騒ぐのは、“親”が至らぬから、
と、自らの行動を反省し、親の姿勢を改める修行をするのです。
たしかに、10年見てきて、どうしようもないヤンチャ坊主
だった子が、今は、おとなしい お利口な青年になっています。
明治の初め、角力(すもう)の廃絶論が 起きた。
明治4年の「太政官布告」で
「裸体をさらすことが禁止」され、違反すると、
相撲取りでも鞭打ちの刑に処せられたとか。
同年、虚無僧も “いかがわしい やくざ集団”として
廃宗となった。相撲力士と虚無僧が「いかがわしいもの」
として、同時に 明治政府から否定されたとは面白い。
角力は、関係者の必死の働きかけで、明治天皇が相撲
好きであったことから、起死回生を遂げる。
滋賀県栗東市の下鈎遺跡から古墳時代初期(3世紀ごろ)の
「琴」の上板がほぼ完全な形で見つかった。
長さ158センチ、幅24センチ。長さは全国で5番目。
写真では「突起」は4つしかないが、「8絃琴」らしいとの
こと。「8絃琴」なら、これが2例目だそうだ。
ところで、「琴(こと)」は本来「柱(じ)」が無いものを言うが、
これは「柱(じ)」を立てる「箏(そう)」のようだ。絃を放射状に
張るとか、頭部を鴎尾型とするのは、我国独得の構造で「和琴
(わごん)」といわれる。
中国の琴や高勾麗の玄琴、新羅の伽耶琴とも違う。特に「8絃」
となると、いろいろ問題がある。突起が4つで、なぜ「8絃」と
いえるのかも、まだ確証はない。
古代の「琴」は、祭祀に重要な意味を持っており、王の権威の
象徴でもあった。「8絃で最長クラス」の琴が出土したという
ことは、「邪馬台国=近江」説を裏付ける有力な史料になる
かもしれない、大発見なのだ。
下鈎遺跡ではこれまで多くの遺構や青銅関連遺物が発見され、
伊勢遺跡(守山市)と並び弥生時代の近江を代表する遺跡と
される。
「歴史の事実」とは過去にあるのではなく、未来にあるのだ。
「邪馬台国は近江にあった」という仮説に基づき、将来、
有力な史料が見つかれば、そこで初めて「事実」となる。
昭和になって核家族化が進み、サラリーマンの夫に妻、そして子ども
という家族構成が標準であったのに、平成になると、その核家族も崩壊。
いま最も多いのは1人暮らし世帯とのこと。私のマンションも12世帯
全員一人暮らし。うち4人は高齢者で生活保護受給者。
変わる家族の形 “おひとり様”
スーパーやコンビニには、お一人様用の食材が並ぶ。
レジャーも旅行も“お一人様”を対象に。
家族には頼れない単身高齢者
平成で急増した1人暮らし、その3分の1は 65歳以上の高齢者。
その半数は、収入が100万円以下の貧困層。
生活保護を受ける高齢者が急増し、平成29年度には83万世帯。平成の間に3.6倍に増えた。
このうち9割は1人暮らし。年金だけでは暮らしていけない。
シルバー川柳より
予定より 長生きし過ぎ 保険なし
あの世行き 葬儀価格に 怖じ気づき
不自由に 耐える長生き 覚悟する
第一生命「サラリーマン川柳」から
居場所なく 近所のベンチで テレワーク
平成に ついていけずに 令和来る
「泣いた日もある、恨んだこと~も 思いだすだろ、懐かしく」
御存知『高校三年生』の2番。「恨んだことも」とは、ドッキリである。
「人生相談」に「高校の友達に、さんざんいじめられた。殺してやりたい」
と、ぶっそうな相談事があった。その解答が「人を呪わば穴二つ」。
サスペンスドラマでも、過去の復讐というストーリーがよくある。
でもその結果は、人を殺せば、自分も刑務所行き。最悪死刑。つまり
自分の墓を掘ることになる。
「そんなクズのために、自分の人生無駄にするな」と回答者。
さらに、「いじめられる理由は自分にもないだろうか」と。
話変わって、今日またお向いのマンションの住人とトラブル。
今までも、違法駐車、ゴミの不法投棄、深夜のドンちゃん騒ぎと
トラブルが絶えない。警察呼んでも、蛙の面にしょんべん、
改善されない。今日は粗大ゴミや非分別ゴミが大量に出された。
軽トラック一台分はある。思いあまって、ビル管理会社と警察に
通報し、来てもらったが、本人は出て来ず、警察も「民事で解決して
もらわねば」と関与せず。
もう、ドアを蹴破って、“ぶっ殺すしかない“ と言いたいところだが
こんなクズのために、事件の加害者になるのはバカバカしい。
もって行き場のないトラブル。どう解決したらよいのか。
思案橋ブルース。「忘れてよ、忘れてよ」。見て見ぬふりか。
実践倫理(朝起き会)の実践徳目のひとつ「人は鏡、相手を批判しない」。
他人を批判ばかりしてきた私。今年の実践課題に決めた。
すると早速 試されることに。
名古屋城前の広い交差点。左2車線が左折ライン。
青の左矢印がついても、前の二台が一向に動こうとしない。
イラッとする私に、助手席のパートナーが「怒らない、怒らない。
こんなことで腹を立てない。見えてないんだから」と。
数秒待てば、さすが前の車も気づいて動き出した。
そうか、視界に入っていても肝心の信号が見えてないというとはよくある。
自分でも、後ろからクラクションを鳴らされてことがある。
まさに「人は鏡。自分だってそういうミスはするのだから、
決して相手を責めてはいけないということ。
その晩、テレビを たまたま付けて見たら、「伊勢神宮の紹介番組」で
「鏡は我をとると神」と。なるほど「かがみ」から「が(我)」の字を取ると
「かみ(神)」になるとの話。目から鱗。
鏡は己の醜い我を映し出す。鏡を磨くことで、己の我を拭い去れば
神の境地に至れるということか。
㈱ 新規開拓の社長で、自己啓発の各種セミナーを開催している「朝倉千恵子」さんのブログから転載させていただきました。
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Aさんは、3人の子供を持つ父親です。
ある朝、家族そろって外出しようという時、3歳になる長男の着替えを手伝っていると
妻が「パパやらないで」と。
Aさんは「自分が着せてやったほうが早いのに」と不足心を出していると、
「最近、自分で着替えられるになったのをパパに見せたがってるのよ」と妻。
Aさんは、そこでハッと気づきました。
「自分の都合で、 子供が成長するチャンスを潰そうとしていたな」と。
思い返せば、職場でも部下の仕事の進捗を待てずに、 自分が代わりにしていた自分。
相手のことを信じて待つことが大切なのだと感じたAさんでした。
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これは、「倫理法人会」が発行している 【職場の教養】に書かれていた話とのこと。
実戦倫理宏正会(朝起き会) でも 全く同じことを教えている。
子供に(部下に)「待つこと、見守ること、寄り添うこと」と。
かく云う私、朝起き会の若い会友さんの行動に、ついつい口出ししてしまう。
本人のためにと思って、いろいろアドバイスしてしまう。
しかしである。
「成功の秘訣」「お金持ちになる本」等々ノウハウ本は 世に氾濫しているが
「それを読んで、成功した人、金持ちになった人は一人もいない」という本も
出ている。つまり、どんな助言、忠告、アドバイスも、その人を変えることは
むずかしい。すべては、本人自身の意識の心がけ次第。
余計な口出しは、心の無駄、時間の無駄。
「待つこと、見守ること、寄り添うこと」でいいのだ。
以前に書いた記事再掲です。
世界の人口推移
・2015年 73億人
- 2011年 70億人
- 1998年 60億人
- 1987年 50億人
- 1974年 40億人
- 1961年 30億人
- 1927年 20億人
- 1802年 10億人
世界の人口は 1802年 10億人だったのが、200年で7倍の70億人に膨張した。
このまま推移すれば、2050年までに 90億人、21世紀末までに100億人を突破するだろうと予測されている。
100憶を超えれば、食料難、水不足で人類は滅亡するとも云われている。
それ以前に 森林伐採、森林火災、砂漠化、CO2の増加という環境破壊も深刻。地震、津波、火山の噴火による人類の滅亡も噂される。
人類はこれまでも長い歴史の中で、疫病、戦争によって人口増加が抑えられてきた。自然淘汰は、大自然の摂理であり、神の意思とも云える。
疫病の根絶のために、人類は科学を発達させ、その都度乗り越えてきた。それは大自然の摂理 or 神の意思 との戦いでもある。
今回の新型コロナウイルス騒ぎ。人口削減を目的としたある種の団体の為せる技とか。「このウィルスで世界の人口は50%(半分)になる」と予測した学者。また「世界人口を5憶人まで減らす」と明言している団体もあるそうな。
人為的に撒かれたとしても、そういう人間が現れるのも自然の成り行き=神の意思。それに反して、人間は右往左往、必死の封じ込めを行っている。これも大自然=神の意思への挑戦か。
「なにも、大自然=神の意思にあがらうことはあるまい。なるようになる」と思う私は 異端者ですかな?
末法の世は「世界の終わり」と信じられてきたが、実はそうではない。
釈迦は「末法」の次に「法滅尽」の時代が来ると。
真の仏教徒ではない者が僧のカタチをして、法を説き、経を読み、葬式をとり行って布施を得る。(正に現代の仏教界)
人々は仏教に帰依せず、戒を守らず。五逆の罪、殺人、嘘、欺瞞、詐欺、卑猥、不倫、飲酒による乱行が横行し、あげくの果て、戦争、大洪水、伝染病が蔓延して、多くの人々がもだえ苦しみながら死んでいくだろうと予言されている。
20世紀は大量殺戮の時代だった。第一次、第二次世界大戦で2憶人が死んだ。スペイン風邪では1憶人が死んだ。
現在でも、大洪水、大干ばつなどの異常気象が起こり、アフリカではバッタの大量発生で作物は全滅の危機 。食料危機で今世界人口70憶のうち2/3(50憶)は飢えて死ぬとも。
しかし釈迦は、「末法の世」「滅法の世」が過ぎると、「救世主が現れて仏教を再興し、正法の世に戻す」という。
その救世主が 弥勒菩薩。 乱れた世の中に沈まず、すべての人々に憐れみの心をもつ者が出るだろう。 そのような者は皆、菩薩であると。
実は、統一教会の文鮮明の説く「統一原理」も同じことを言っている。文鮮明は「旧約聖書」の予言を読み解き、末法の時代の次にメシアが現れる。(メシア=救世主。すなわち弥勒である)。今メシアの到来が近づいている。神の摂理によって共産主義は滅びるとも予言している。
さて今、新型コロナウイルス騒ぎによって、既存の価値観がひっくり返され、新しい生き方が求められている。そして五次元の世界が生まれようとしている。世界が大きく変わる。生き残れるのは「 乱れた世の中に沈まず、すべての人々に憐れみの心をもつ者」。それにいち早く気づいた人間のみだそうだ。
「日本国憲法」
第1章 天皇
- 〔天皇の地位と主権在民〕
第1条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
そして、
「天皇の地位は・・・日本国民の総意に基づく」と明記されている。
しかるに「天皇制はいらない」と明言する国会議員もいる。
「即位の礼」当日も、天皇制に反対する輩のデモがあった。
天皇制を日本国民の全員が支持しているわけではない。つまり
「総意に基づいていない」のであるから、天皇は憲法違反となる。
と私は思うのだが、この件については誰も議論しないのが不思議。
かつて辻元議員は 憲法審査会で「この第一章、第1条から8条までは要らない」と発言していた由。その辻本議員まで 即位式に参列していた。「なぜ?」の声