山田風太郎という人は、ユーモア小説の才能もあるのだろうか?
山田風太郎の通っていた学校は東京医学専門学校だが、昭和22年ごろになると、学校制度を整理しようという試みがされるようになり、東京医専が大学昇格かあるいは廃校か、という選択を迫られる。
もちろん選択の主導権を握っているのはマッカーサーとG.H.Q.(連合国軍最高司令官総司令部)文部省は全くの無力。
あちこちにある専門学校を大学に昇格させるのがふさわしいかどうか、G.H.Q.が見学に来るというので、東京医専では教授も学生も一丸となって金を集め、戦争でボロボロになった校舎の外観を少しでも良くしようとペンキを塗り、ガラスを窓にはめ込み、キャバレエのようにキレイにしてG.H.Q.を待つ。
その涙ぐましい努力を漢文の書き下し文調で格調高く記述しているものだから、滑稽というかホロ悲しいというか…。
そうだよね。ここで廃校になったら、そこに通っていた学生さん達、今までの金と時間をどうしてくれる!!!と暴れちゃうだろう。
幸いにも東京医専はもともと評判がよく、大学に昇格して東京医科大学になっている。
それにしてもインフレのすざましいこと! 昭和21年の山田風太郎の原稿料が百円単位だったのに、昭和23年になると万単位になる。
これは山田風太郎が売れっ子になり、原稿料が上がったという事もあるが、ハイパーインフレのためもあるだろう。
この当時の物価は、今から考えるとずいぶん奇異に感じるものもある。例えば家賃。
昭和22年ごろ、6畳6畳3畳のボロ平屋を高須さんという人が借りていて、そこに風太郎が居候していた。高須さんが大家さんに払う家賃1ヶ月36円。
東京都内ですよ。シンジラレナイ!!だって風呂代が8円なんですよ。1回の風呂代の4.5倍のお金で、東京都内にボロとはいえ平屋一戸建てが借りれるなんて。
山田風太郎の青春グラフティといった趣もあるが、混乱する戦後日本の優れたノンフィクションとして読んでも面白い。
山田風太郎の通っていた学校は東京医学専門学校だが、昭和22年ごろになると、学校制度を整理しようという試みがされるようになり、東京医専が大学昇格かあるいは廃校か、という選択を迫られる。
もちろん選択の主導権を握っているのはマッカーサーとG.H.Q.(連合国軍最高司令官総司令部)文部省は全くの無力。
あちこちにある専門学校を大学に昇格させるのがふさわしいかどうか、G.H.Q.が見学に来るというので、東京医専では教授も学生も一丸となって金を集め、戦争でボロボロになった校舎の外観を少しでも良くしようとペンキを塗り、ガラスを窓にはめ込み、キャバレエのようにキレイにしてG.H.Q.を待つ。
その涙ぐましい努力を漢文の書き下し文調で格調高く記述しているものだから、滑稽というかホロ悲しいというか…。
そうだよね。ここで廃校になったら、そこに通っていた学生さん達、今までの金と時間をどうしてくれる!!!と暴れちゃうだろう。
幸いにも東京医専はもともと評判がよく、大学に昇格して東京医科大学になっている。
それにしてもインフレのすざましいこと! 昭和21年の山田風太郎の原稿料が百円単位だったのに、昭和23年になると万単位になる。
これは山田風太郎が売れっ子になり、原稿料が上がったという事もあるが、ハイパーインフレのためもあるだろう。
この当時の物価は、今から考えるとずいぶん奇異に感じるものもある。例えば家賃。
昭和22年ごろ、6畳6畳3畳のボロ平屋を高須さんという人が借りていて、そこに風太郎が居候していた。高須さんが大家さんに払う家賃1ヶ月36円。
東京都内ですよ。シンジラレナイ!!だって風呂代が8円なんですよ。1回の風呂代の4.5倍のお金で、東京都内にボロとはいえ平屋一戸建てが借りれるなんて。
山田風太郎の青春グラフティといった趣もあるが、混乱する戦後日本の優れたノンフィクションとして読んでも面白い。