不思議な作品。殺人事件が起こっており、社会派ミステリと言えなくはないが、筆者の本当に書きたかった事は「礼儀を知らない読者に反撃」ではないだろうか?
因幡沼という売れっ子作家が、読者から作品中で「ら抜き言葉」を使ったと痛烈に批判され、因幡沼がそれに反論するエッセイを書き、それが事件の発端となるという内容。
「ら抜き言葉」というのは、最近あまり問題視されないから、若い人は何のことか分からないかも知れない。例えば「食べられる」(可能)を「食べれる」と「ら」を抜いて表記したり発音したりする事。
私の学生の頃は結構「美しくない」「日本語をゆがめている」とか非難する投書が新聞に載ったりしたのだ。
とにかく、こんなことに狂信的に情熱を傾ける人がいて、因幡沼は「人間のクズ」のように罵られる。
ここら辺の事は、島田荘司の実際の体験がベースにあるんじゃないだろうか?
他にも、「因幡沼は愛読者の会という招きに応じて出掛けて行き、いい気分でにこに喋っていると、だんだん会の空気が変化してきて、因幡沼を糾弾するような趣に変わってくる」という事を書いているが、これも島田荘司の実体験だろう。
売れっ子作家も大変である。やっぱり作者に手紙を書く人や、愛読者の会に参加するような人は、自分でも文章を書いている人が多いだろうから、やっかみもあるんだろうね。
因幡沼という売れっ子作家が、読者から作品中で「ら抜き言葉」を使ったと痛烈に批判され、因幡沼がそれに反論するエッセイを書き、それが事件の発端となるという内容。
「ら抜き言葉」というのは、最近あまり問題視されないから、若い人は何のことか分からないかも知れない。例えば「食べられる」(可能)を「食べれる」と「ら」を抜いて表記したり発音したりする事。
私の学生の頃は結構「美しくない」「日本語をゆがめている」とか非難する投書が新聞に載ったりしたのだ。
とにかく、こんなことに狂信的に情熱を傾ける人がいて、因幡沼は「人間のクズ」のように罵られる。
ここら辺の事は、島田荘司の実際の体験がベースにあるんじゃないだろうか?
他にも、「因幡沼は愛読者の会という招きに応じて出掛けて行き、いい気分でにこに喋っていると、だんだん会の空気が変化してきて、因幡沼を糾弾するような趣に変わってくる」という事を書いているが、これも島田荘司の実体験だろう。
売れっ子作家も大変である。やっぱり作者に手紙を書く人や、愛読者の会に参加するような人は、自分でも文章を書いている人が多いだろうから、やっかみもあるんだろうね。