ケイの読書日記

個人が書く書評

水木しげる「ねぼけ人生」

2012-08-14 20:28:00 | Weblog
 「ゲゲゲの女房」は、奥さんから見た水木しげるの半生だったから、水木しげるの子どもの頃の話は出てこなかったが、この「ねぼけ人生」には、ガキ大将時代やのんのん婆の話にも多くのページがさいてある。

 水木しげるのお父さんは、裕福な家の出で、境港で初めて東京の大学に行ったらしいが、親戚にも変わった人が多かったらしい。
 家の二階には、英語の原書を読む以外、何の仕事もしないという親戚のおじさんがいたようだし、蔵の中で一生を働かずに過ごした人もいたようだ。
 母方の祖父も風流人で、俳句とか書画をひねくるばかりで、仕事というものを全くしなかった人らしい。

 つまり高等遊民で、先祖から受け継いだ財産をきれいさっぱり使い切って、水木しげるの代になるとオケラになってしまったんだろう。

 しかし水木しげるは偉いなぁ。昔、裕福だと過去の栄光にすがり「オレの母の実家は、元禄時代から今日までずらりと墓が並んでいるほどの旧家で」とか「我が先祖は、江戸時代には廻船問屋をやっていて、幕末の頃はかなりの金持ちだった」なんて、周囲がうんざりするほど、自慢話をくどくど話すものだ。

 でも、水木しげるは「赤貧、芋を洗うがごとし」の貧乏暮らしの中で黙々と漫画を描き、質札の束が厚さ3cmになっても、わずかばかりの原稿料が入ると、プラモデルを買って組み立てた。 
 こういう所が、先祖と似ているような気がするね。

 水木しげるは、貸本マンガから週刊マンガに移って大成功したが、もちろんそう出来なかったマンガ家はどっさりいる。
 水木しげるの家に居候していた、渡辺あらき、という貸本マンガ家の話は、本当に気の毒だ。
 1975年頃、1人の少年読者から、手紙が水木しげるの所に来た。この人は、この少年の家の近くの小屋に住んでいて、口癖のように「水木しげるとは友達だった」と話していたらしい。久しぶりに行ってみると彼は餓死していたようだ。
 なんとか、ほかの業種に移れなかったのだろうか?
コメント (2)
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