戦前・戦中・戦後と活躍した女流小説家・林芙美子をモデルとした桐野夏生の小説。
林芙美子の代表作『放浪記』は、森光子主演の舞台で有名だが、原作の小説も素晴らしい。
以前、群ようこのエッセイを読んでいたら、何度も引っ越しするたびに本を処分していたが、林芙美子の『放浪記』だけは手放せなかった、という意味の事が書かれてあった。その気持ち、わかるなぁ。
ほとんどの日本人が、土地に縛られる農民であった明治・大正・昭和初期、定住する土地を持たず、根無し草のようにあちこちを行商して歩く、貧しい母娘の日常を書いた『放浪記』は、本当に読みごたえあった。
この『ナニカアル』は、昭和17年、流行作家・林芙美子が軍の要請でインドネシアへ渡り、現地の生活や兵士たちの様子を書いて、日本の新聞に載せていた頃の話。軍が日本国民の戦意を高揚させようとしたらしい。
昭和16年の真珠湾攻撃以来、日本はどんどん南方に攻め入っていたので、その時、インドネシアは日本が占領していたのだ。
芙美子は、そのインドネシアで新聞記者の愛人と逢瀬を重ねる。もちろん、これはフィクションで、実際どうだったかわからない。ただ、林芙美子という人は、とても「恋多き女」だったので、これと似た事があっても、誰も驚かないだろう。
逢瀬を重ねると書くとロマンチックだが、もちろん戦時中なので、人々の言動は監視され、少しでも反戦・厭戦思想ありと判断されると、憲兵に引っ張られた。
芙美子の愛人・謙太郎も、とても苦しい立場にいたのだろう。
彼は、英語が堪能で、英語圏で生活することを好み、新聞駐在員としてロンドンやニューヨークに赴任するが、日米開戦のために日本に送り返される。アメリカやイギリスがどれだけ強大か、日本に勝ち目がない事を知っている彼は、本当なら亡命したかったかもしれない。
しかし、白人による有色人種差別も経験している彼は、どこにも逃げられないことを知っている。
こういう人って、かわいそう。どこにも居場所がない。
「カミカゼが吹く」「鬼畜米英」とか言って、日本の勝利を疑わない人の方が、よっぽど精神的に楽だろう。
この本を読んで驚いたのは、その当時、毎日新聞と朝日新聞が発行部数1、2を争っていたという事実。今はもう毎日新聞 見る影もないが…。そして、うーんと水をあけられ読売新聞が追っていたらしい。
そして、どの新聞も、先を争って軍に協力し、軍とともに占領地に赴いて、関連新聞社を展開していった。
もちろん、新聞社だけじゃない。大勢の兵隊さんたちがいる場所には、外地で一旗揚げようとする商売人たちも乗り込んでくる。料理屋かカフェでも開くつもりなんだろう。お女郎さんたちもたくさん行く。
戦争で、日本の旗色が良かった初期には特に、日本国民の熱狂ぶりはすごかっただろう。
「花子とアン」のモデルの村岡花子を「戦争中、積極的に軍部に協力した」と非難する人がいるけど、じゃあ、どうすれば良かった?
今、この平和な時代に暮らしていて、過去の大変な時代に生きてきた人たちを、なぜ非難できる?あんた、戦時中に同じことを言えますか?
林芙美子の代表作『放浪記』は、森光子主演の舞台で有名だが、原作の小説も素晴らしい。
以前、群ようこのエッセイを読んでいたら、何度も引っ越しするたびに本を処分していたが、林芙美子の『放浪記』だけは手放せなかった、という意味の事が書かれてあった。その気持ち、わかるなぁ。
ほとんどの日本人が、土地に縛られる農民であった明治・大正・昭和初期、定住する土地を持たず、根無し草のようにあちこちを行商して歩く、貧しい母娘の日常を書いた『放浪記』は、本当に読みごたえあった。
この『ナニカアル』は、昭和17年、流行作家・林芙美子が軍の要請でインドネシアへ渡り、現地の生活や兵士たちの様子を書いて、日本の新聞に載せていた頃の話。軍が日本国民の戦意を高揚させようとしたらしい。
昭和16年の真珠湾攻撃以来、日本はどんどん南方に攻め入っていたので、その時、インドネシアは日本が占領していたのだ。
芙美子は、そのインドネシアで新聞記者の愛人と逢瀬を重ねる。もちろん、これはフィクションで、実際どうだったかわからない。ただ、林芙美子という人は、とても「恋多き女」だったので、これと似た事があっても、誰も驚かないだろう。
逢瀬を重ねると書くとロマンチックだが、もちろん戦時中なので、人々の言動は監視され、少しでも反戦・厭戦思想ありと判断されると、憲兵に引っ張られた。
芙美子の愛人・謙太郎も、とても苦しい立場にいたのだろう。
彼は、英語が堪能で、英語圏で生活することを好み、新聞駐在員としてロンドンやニューヨークに赴任するが、日米開戦のために日本に送り返される。アメリカやイギリスがどれだけ強大か、日本に勝ち目がない事を知っている彼は、本当なら亡命したかったかもしれない。
しかし、白人による有色人種差別も経験している彼は、どこにも逃げられないことを知っている。
こういう人って、かわいそう。どこにも居場所がない。
「カミカゼが吹く」「鬼畜米英」とか言って、日本の勝利を疑わない人の方が、よっぽど精神的に楽だろう。
この本を読んで驚いたのは、その当時、毎日新聞と朝日新聞が発行部数1、2を争っていたという事実。今はもう毎日新聞 見る影もないが…。そして、うーんと水をあけられ読売新聞が追っていたらしい。
そして、どの新聞も、先を争って軍に協力し、軍とともに占領地に赴いて、関連新聞社を展開していった。
もちろん、新聞社だけじゃない。大勢の兵隊さんたちがいる場所には、外地で一旗揚げようとする商売人たちも乗り込んでくる。料理屋かカフェでも開くつもりなんだろう。お女郎さんたちもたくさん行く。
戦争で、日本の旗色が良かった初期には特に、日本国民の熱狂ぶりはすごかっただろう。
「花子とアン」のモデルの村岡花子を「戦争中、積極的に軍部に協力した」と非難する人がいるけど、じゃあ、どうすれば良かった?
今、この平和な時代に暮らしていて、過去の大変な時代に生きてきた人たちを、なぜ非難できる?あんた、戦時中に同じことを言えますか?