このエッセイ集は、週刊現代2013年5月~2014年5月の連載をまとめてあるので、「泣く女」という章に、小保方晴子さんの事が触れられていた。この章を読んで私は、いままで疑問に思っていた自分の中のもやもやが理解できた気がする。
その疑問とは…小保方さんが、どうしてあそこまでボロボロにこき下されなきゃならなかったか?という疑問。
問題は、「STAP細胞はあるか、ないか?」「研究に不正があったか? なかったか?」であって「会見した時の小保方さんの服装や化粧法」ではないはずだ。
どうして女性週刊誌やワイドショーが、いっせいに小保方さんの巻き髪やブランド物の洋服を非難するのか、それがそんなに問題なのか?
若い女性が人前に出るのに、身なりを整えるのは当たり前だと思うけど。
その行為が、同性である女の反発を招くのは、理解できます。その反発を嬉々としてふれ回っているいる人たちの浅ましさがイヤだねぇ。
酒井さんは、こう書いてます。
「オボちゃん(小保方さん)というのは、ヤワラちゃん以来、久しぶりに登場した『女に嫌われる女』であるわけですが、彼女達は何故そうなるかというと、女子校的環境にいたことがないせいで『女性の視線管理』に慣れていないためではないかと思われる」
確かに、これはよく分かります。小保方さんが、いかにもやつれ切った顔で、髪もグチャグチャ、服もヨレヨレで会見に現れたら、酒井さんのような人たちは大満足。「これで、ちったぁ反省したかよ。もう調子に乗るんじゃねぇぜ」と捨てゼリフを吐いて、大人しくなるんでしょう。
でも、この問題の本質は、そこじゃないでしょう?彼女が意図的に不正を働いたというなら問題外ですが、そうじゃないんだったら、これからも研究を続けてもらった方が、本人のため、日本のため、科学のためになると思うけど。