この『城の崎にて』は、教科書に載っていたのかな? 昔、読んだことがある。
筆者をモデルとした主人公が、電車にはねられて大けがをし、城崎温泉で静養する話。(山手線の電車にはねられたと書いてあるけど、どうやって? 自分で線路に飛び込んだの? バスや車なら分かるけど)
それに、そばにいた友人に「フェータルなものかどうか、医者は何と言っている?」と尋ねているが、これって命に係わるケガかどうかって意味だよね。なんでわざわざ英語を使うんだろう? 金持ちの坊ちゃんの言う事は、どうにもよく分からない。ツッコミどころ満載!
読んだときに、へぇ城崎温泉って鄙びた素敵な温泉なんだ、一度行ってみたいなぁとぼんやり憧れていた。
そうしたら、社会人になって同僚と3人で城崎温泉に行く機会があったのだ。この小説の舞台は、明治の終わりか大正の初めなので、私が行った時(昭和50年代終わり)とは、かなり雰囲気が違っているだろうが、それでも小さな川に橋がかかっており、川の両岸に人が群れていたりする場面があって、この短編を思い出した。
そうそう、城崎温泉って、志賀直哉が当時行った時も、私たちが旅行で訪れた時も、宿に湯は引いておらず、「一乃湯」「二之湯」「三の湯」…といった公衆浴場が往来に沿って点在しているのだ。宿泊客は誰でも入浴できる。
旅館の立派な内風呂を期待していた私は驚いたが、そういった古めかしい温泉情緒が人気だったんだろう。今ではどうか知らない。やっぱり内湯がある旅館の方が増えるだろうね。
お風呂の事を延々と書いてしまったが、志賀直哉が「生きていることと、死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした」という心境に達した静かな短編。読み応えあり。
筆者をモデルとした主人公が、電車にはねられて大けがをし、城崎温泉で静養する話。(山手線の電車にはねられたと書いてあるけど、どうやって? 自分で線路に飛び込んだの? バスや車なら分かるけど)
それに、そばにいた友人に「フェータルなものかどうか、医者は何と言っている?」と尋ねているが、これって命に係わるケガかどうかって意味だよね。なんでわざわざ英語を使うんだろう? 金持ちの坊ちゃんの言う事は、どうにもよく分からない。ツッコミどころ満載!
読んだときに、へぇ城崎温泉って鄙びた素敵な温泉なんだ、一度行ってみたいなぁとぼんやり憧れていた。
そうしたら、社会人になって同僚と3人で城崎温泉に行く機会があったのだ。この小説の舞台は、明治の終わりか大正の初めなので、私が行った時(昭和50年代終わり)とは、かなり雰囲気が違っているだろうが、それでも小さな川に橋がかかっており、川の両岸に人が群れていたりする場面があって、この短編を思い出した。
そうそう、城崎温泉って、志賀直哉が当時行った時も、私たちが旅行で訪れた時も、宿に湯は引いておらず、「一乃湯」「二之湯」「三の湯」…といった公衆浴場が往来に沿って点在しているのだ。宿泊客は誰でも入浴できる。
旅館の立派な内風呂を期待していた私は驚いたが、そういった古めかしい温泉情緒が人気だったんだろう。今ではどうか知らない。やっぱり内湯がある旅館の方が増えるだろうね。
お風呂の事を延々と書いてしまったが、志賀直哉が「生きていることと、死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした」という心境に達した静かな短編。読み応えあり。