ケイの読書日記

個人が書く書評

林芙美子 「風琴と魚の町」

2021-04-23 13:41:21 | 林芙美子
 これも前回の「清貧の書」と同じく、林芙美子の自伝的小説。「清貧の書」は成人して結婚している芙美子が書かれているが、この「風琴と魚の町」は、芙美子の子ども時代の話。大正5年の12、13歳ころの話だろう。行商で生計を立てている両親について、あちこち回り小学校には行ったり行けなかったり。ただ文学書は大好きで、小さい頃から読み漁っていた。

 行商って、今の若い人にわかるだろうか? 言葉として知っていても、実際に会ったり接したりしたこと、無いんじゃない? 私でも、子供の頃、家に野菜を担いで、あるいはリヤカーで売りに来た行商の人を見たのは、小学校の頃くらいまでだった。
 芙美子の両親も、よく分からない薬を仕入れ、景気良さそうな町で汽車を降り、風琴を弾いてお客を集め、街角で色々売り歩いていた。店を構えている訳ではないので、雨が降って行商ができないと商売あがったり。おまんまの食い上げ。米でなく黄色い粟飯がつづき、それすら食べられなくなった。もちろん学校には弁当を持って行けない。弁当の時間、音楽室に行ってオルガンを鳴らし空腹を我慢した。当時はそういう子供が珍しくなかった。給食ってありがたいと、しみじみ思う。

 薬は儲からないと思ったのか、芙美子の父親は、1瓶10銭の化粧水を仕入れてきた。それはよく売れた。家族が皆よろこんでいると、父親は警察に捕まった。どうも、その化粧水がインチキ商品で、小麦粉を水に溶かして色を付けただけの品だったらしい。だから、父親が悪いわけではなくて、製造元が悪いんだ。
 心配した芙美子が、警察署の裏側にまわり覗くと…お父さんが巡査に殴られていた。

 電気がこうこうとついていた。部屋の隅に母がねずみよりも小さく私の目に写った。父が、その母の前で、巡査にぴしぴしビンタをなぐられていた。
 「さあ、うとうてみんか!」父は、奇妙な声で、風琴を鳴らしながら「二瓶つければ雪の肌」と、歌をうたった。
 「もっと大きな声でうたわんかッ!」「ハッハッ…うどん粉つけて、雪の肌いなりゃア、安かものじゃ」
 悲しさがこみあげてきた。父はやみくもに、巡査に、ビンタをぶたれていた。  (本文より)

 ここ、50年位前に読んだのに、鮮明に覚えている。まるで自分の父親が殴られているように、感じたんだろうか。巡査がビンタしたら、今なら大問題だが、当時(大正5年くらい)当たり前だったんだ。
コメント
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