ケイの読書日記

個人が書く書評

ティム・オブライエン 村上春樹訳 「レイニー河で」

2013-10-07 09:14:17 | Weblog
 この「レイニー河で」は『本当の戦争の話をしよう』という短編集の中の一つ。
 すべてヴェトナム戦争に関連した話だが、その中でもこの「レイニー河で」は印象に残る。いろいろ考えさせられる。

 作者は1968年6月、21歳で、ヴェトナム戦争の徴兵通知を受け取った。
 彼は、その戦争を憎んでいた。ハッキリした反戦活動をしていた訳ではないが、この戦争は間違ったものに思えた。
 彼は、徴兵を忌避するために、カナダに行くことを真剣に考える。北に車で8時間行けば、国境だ。トンズラするんだ。
 迷った末、彼はスーツケースに荷物を詰めて、北に向かう。レイニー河の対岸は、もうカナダだった。
 レイニー河の手前の、アメリカ側のみすぼらしいロッジに、彼は宿をとる。
 ロッジの主人は、兵役逃れのため彼がカナダに行こうとしている事を、うすうす感じながら、余分な事は何も言わず、6日間、彼と一緒に過ごす。
 ロッジの主人と一緒に、レイニー河に釣りに出かけ、泳いでカナダに渡る機会をもらいながらも、彼は行かなかった。
 
 まさにその時、対岸を眼前にして、私は悟ったのだ。そうするべきだとわかっていても、私はそうしないだろうという事を。私は私の生まれた町から、祖国から、私の人生から泳ぎ去ることはしないだろう。(本文より)

 そして自宅に戻り、兵士としてヴェトナムに行った。

 短編の最後に彼は、私はひきょう者だった。(良心をうらぎって)私は戦争に行ったのだ、と締めくくっている。
 本当にそうか?


 私はここで、ヴェトナムとは全く関係ない事を思い出していた。福島原発が水素爆発した時、国外に逃げた人たちの事を。
 確かに、彼らの行動を非難するのは間違いだし、彼らの日頃の主張から考えれば、国外へ退避することは、彼らの良心にかなった事だろう。
 でも…信用できる? こんな大変な時に、自分が育った土地を捨て去る人たちの事を。
 九州や沖縄に逃げるならともかく、国外だなんて。

 私の心が狭いのだろうか? いろいろ考えてしまう。

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