ケイの読書日記

個人が書く書評

林芙美子 「思い出の記」

2021-04-30 13:55:19 | 林芙美子
 林芙美子は、こういった自伝的な思い出話をよく書いて、あちこちの雑誌に掲載してきた。なんといっても、彼女の、行商人の娘として西日本各地を流浪したという生い立ちに関心を持つ人が多いからだろう。
 彼女の代表作『放浪記』の一節「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」に強く惹きつけられる人は少なくないと思う。

 日本人は、弥生時代から農耕民族として定住して稲作するのが一般的で多数派だった。だから、旅芸人や行商人のような定住しない人たちを疎んじる。(でも、流浪の民の方も、百姓をバカにするような所があるのだ。林芙美子の小説内にも出てくる)
 しかし、疎んじる一方で、自分にできない生き方をしている彼らに憧れるんだ。俳人の山頭火の人気が高いのも、そういう事なんだと思う。

 でも、頭の中で空想するのと現実の生活は違う。先日、ブログで紹介した『風琴と魚の町』の中にも、流れ着いた尾道でしばらく落ち着いた生活をする芙美子たち家族を書いているが、流れ着くまでが大変。娘を連れた行商人夫婦が、行き先を決めず汽車に乗る。祭りがあり景気が良さそうな町を見つけると、そこで降りて街角で商品を売り弁当代を稼ぐ。まずまずのお金になると、その地にしばらく滞在するつもりで、木賃宿に泊まる。でも、その木賃宿の宿代を稼げない日もあるだろう。そういう時はどうするの? 娘を連れて野宿?

 林芙美子の自伝的小説を楽しんで読めるのも、彼女が小説家として人気が出て成功するのを知っているから。『ゲゲゲの女房』の水木夫妻と同じ。あのお話も、すごく貧乏だが気が滅入らないで読んだり見たりできるのは、水木しげるがマンガ家として大成功することが分かっているから。彼らのように成功できず、自滅していった人たちも多いんだろう。

 私は観てないけど、「ノマドランド」って映画が人気あるんだってね。仕事を求めキャンピングカーで移動し、その社内で生活する。アメリカの格差社会の犠牲者という人もいるらしいが…でも、ちょっとやってみたいような気もするなぁ。

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