ケイの読書日記

個人が書く書評

山田風太郎「戦中派焼け跡日記」

2009-02-03 10:18:35 | Weblog
 実は山田風太郎を読むのは初めて。有名な作家だが、私にとっては過去の人というか一昔前の流行作家というイメージがあって、あまり読みたいとは思わなかったのだ。
 でも、たかさんがブログに紹介してたので、私も読んでみることにする。


 敗戦の翌年、昭和21年1月から12月までの、山田誠也氏(24歳医学生・後のペンネーム山田風太郎)の日記。発表するつもりは無かったらしく、かなり過激な事が書いてある。
 書き記してから実に55年の歳月を経て初公開。(つまり山田風太郎の死後)
 そうだよね。昭和20年代、30年代にこんな日記を公開したら、風太郎は反動勢力とか言われて、ボロクソに叩かれそうだ。

 激動する日本、占領下での生活、戦争、天皇、変節する人々を、冷静に時には熱く克明に綴っている。

 それにしても話には聞いていたが、敗戦後の東京の食糧事情の悪さはひどい。配給米は全く足りず、米が一粒も無くなり大根の葉っぱ汁をすする。
 大人はまだ我慢するが、子どもは空腹に耐えかねて泣きながら寝入る。
 農家の親戚を頼ったり、ヤミ米を入手したりするが、それも没収される。ヤミ米を食べなきゃ栄養失調で死んでしまうのに、ヤミ米禁止で見つかったら没収される、この矛盾。

 そういえば実家の父(対象5年生まれ)に聞いたことがある。終戦の昭和20年は長雨が続き不作だったから、翌年の昭和21年は大変だったと。

 すべての物資が不足しててんてこ舞いなのに、郵便は比較的正常に機能して、風太郎もあちこちに葉書を出すし、葉書をもらう。お金も途中で紛失することなく届けられる。現金書留だろうか?郵便為替?
 こういうところは、敗戦で打ちのめされても日本人って几帳面だなと感心する。

 次は昭和22年の日記を読んでみよう。
コメント (2)
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