林真理子という名前は、私の年代(1958年生まれ)では知らない人はいないと思うが、若い人は知らないかもしれない。
1954年・山梨県生まれ。最初は、糸井重里に引き立てられ、コピーライターとして活躍し、TVでMCをやったりもした。後に小説に転向、売れっ子女流小説家に。直木賞も受賞。最初の頃は、小説家というより、芸能人っぽい文化人という感じだったなぁ。バブル期にもてはやされていたが、バブルが消えても林真理子は消えなかった。
それだけ実力があったという事だろう。
そうそう、『アグネス論争』って知ってます?
1988年に「文藝春秋」で林真理子が、子連れ出勤するアグネス・チャンについて「いい加減にしてよアグネス」という記事を書いて、大論争になりました。
働く女性が、子どもを連れて出勤することを、否定的に書いたのだけど、旗色は林真理子の方が少し悪かったかな?バッシングされることも多かったと思う。
でも、そんなことで怯む林真理子ではない。
そもそも、この本『野心のすすめ』を林真理子が書いたのは「今、低め安定を望む人々が、いくらなんでも多すぎるのでは?」という危機感らしい。「いつまでもユニクロと松屋でいいの?ブランド物を身に着け、帝国ホテルでシャリアピンステーキを食べたいと思わないの?」と若者を叱咤激励している。
林真理子を、厚かましいと嫌っている人も多いだろうが、この人は、本当に健全な野心家だと思う。努力家で、欲望をストレートに口に出し、変に屈折していない。もちろん、隣にいたら迷惑するだろうが、離れて見たり、聞いたり、読んでいる分には、とても素晴らしい。
そうだよ、こういう人がいないと、世の中は発展しない。
不遇な時代、たとえ根拠が薄い自信でも、自分を信じる気持ちが、辛い局面にいる人を救ってくれることは、よくある。
彼女は、大学時代に一番キレイに写った写真を、アルバムの1ページ目に貼り、「何十年後かの真理子さんへ。19歳の貴女を見て、いまの貴女はどう思いますか?」と自分にあてて手紙を書いていたそうです。
自分の成功を夢見て…というか、信じていたんだろう。立派だと思うよ。
1954年・山梨県生まれ。最初は、糸井重里に引き立てられ、コピーライターとして活躍し、TVでMCをやったりもした。後に小説に転向、売れっ子女流小説家に。直木賞も受賞。最初の頃は、小説家というより、芸能人っぽい文化人という感じだったなぁ。バブル期にもてはやされていたが、バブルが消えても林真理子は消えなかった。
それだけ実力があったという事だろう。
そうそう、『アグネス論争』って知ってます?
1988年に「文藝春秋」で林真理子が、子連れ出勤するアグネス・チャンについて「いい加減にしてよアグネス」という記事を書いて、大論争になりました。
働く女性が、子どもを連れて出勤することを、否定的に書いたのだけど、旗色は林真理子の方が少し悪かったかな?バッシングされることも多かったと思う。
でも、そんなことで怯む林真理子ではない。
そもそも、この本『野心のすすめ』を林真理子が書いたのは「今、低め安定を望む人々が、いくらなんでも多すぎるのでは?」という危機感らしい。「いつまでもユニクロと松屋でいいの?ブランド物を身に着け、帝国ホテルでシャリアピンステーキを食べたいと思わないの?」と若者を叱咤激励している。
林真理子を、厚かましいと嫌っている人も多いだろうが、この人は、本当に健全な野心家だと思う。努力家で、欲望をストレートに口に出し、変に屈折していない。もちろん、隣にいたら迷惑するだろうが、離れて見たり、聞いたり、読んでいる分には、とても素晴らしい。
そうだよ、こういう人がいないと、世の中は発展しない。
不遇な時代、たとえ根拠が薄い自信でも、自分を信じる気持ちが、辛い局面にいる人を救ってくれることは、よくある。
彼女は、大学時代に一番キレイに写った写真を、アルバムの1ページ目に貼り、「何十年後かの真理子さんへ。19歳の貴女を見て、いまの貴女はどう思いますか?」と自分にあてて手紙を書いていたそうです。
自分の成功を夢見て…というか、信じていたんだろう。立派だと思うよ。