明日、8月15日は67回目の終戦記念日。
日本の一番最後の終戦記念日、
武士の時代が終わったと言われる日でもあります。
私達にとって、この日は、
67年の間、新たな戦争をしていないことを確認し、
さらに、その期間を伸ばしていくことを確認する日でもあるのですが、
最近は、何かと騒がしくなってきています。
私は、子供心に近所の老人が戦争の話を、
誇らしげに語るのを聞きながら、
戦争の怖さと実際に戦った人のカッコ良さを感じながらも、
侵略を誇らしげに語る老人に対して違和感も感じていたことを
憶えています。
高校、大学、社会人と年齢を重ねても、
この8月15日の終戦記念日を迎える度に、
新たな戦争をしていないことに安堵して、
戦争で命をかけて戦った方々には敬意と感謝の念と、
当時のリーダー達が、
侵略戦争かつ無謀な戦争に踏み切ることを判断したことによって
300万人とも言われる多くの命が失われたことへの怒りと、
迷惑をかけた他国の方々に対しての後ろめたい気持ちと
申し訳なさを感じていました。
だけれども、インターネット情報で
「あれ?」と言う情報を得てから、
その気持に変化が起きます。
その一つが、昭和16年に新聞に掲載されたと言う
「帝国政府声明文」です。
ここには、
植民地戦略に出遅れた日本が、
資源国を植民地支配している国から支配権を奪い取るためではなく、
アジア各国を植民地支配から解放するためのものと言うことが書かれています。
これが綺麗事ではなく、嘘偽りない真の目的だとうすると、
私が教えられていた侵略、資源略奪のためのというのが成り立たなくなります。
もちろん、当時ABCD包囲網の輸入ストップで、
日本自体が窮地に追い込まれていなければ、
自らの国の犠牲を厭わずアジア諸国を解放するための戦争などに
踏み切らなかったでしょう。
まずは、自国のため、
そのためには資源国を植民地として支配している国を追い出すしかない。
本当に解放なのか、取って替わるためなのか、
何かの行動には正当性を持とうとしたり、綺麗事を唱えたりするものですから、
その真意は分かりませんが声明文では解放としています。
そして、次のような動画があります。
これらは、公式に発表された談話とのことで、
声明文と談話を合わせると、
少なくとも敗戦までの行動は、我が国のために、
そして、支配国を追い出した後に日本が取って代わるのではなく、
声明文のまま、本当に解放を目的とした行動を
多くの国で取っていたと考える事が出来ます。
しかし、これもまた、もし日本があの戦争に勝っていたとしたら、
あるいは、勝つまでいかなくとも講和が結ばれていたとしたなら、
植民地の立場であったアジア各国に対して、
日本の立場がかなり強くなりますから、
理想で始めたはずだったのに、最後には欲が勝ち、
そのまま日本が新しい植民地の支配国として
居座っていた可能性もあると思っています。
何が真実なのかどうなのか、本当の目的は何だったのか、
歴史学者でない私には強く言うことが出来ません。
そして、多くの大切な命が失われる戦争は、
勝とうが負けようが、自国防衛のためであろうが、
その選択は間違っていない選択であったとしても、
正しい選択であるとも言えないとも思っています。
その真意がどうであれ、何であれ、今の私には、
過去に資源略奪のために侵略をした恥ずべき歴史を持つ
国民の一人であるかもしれないと言う認識だけではなく、
それまでには無かった過去に物凄く誇れる行動をした
国民の一人であるかもしれないと言う
別の認識が確実に存在しています。
そのことによって心の中で、
それまでよりも少しは胸を張れて、
顔をあげることが出来ている自分がいることは確かです。
心理療法でも、
それまでの自分に罪悪感を持っていたり、
それまでの自分を悲観したり、卑下していることで
悩み苦しんでいるとしたなら、
その原因となる個人の歴史観は、
もしかすると一方向から見ただけのものかもしれないのです。
その個人の歴史観を完全に書き変えるまでいかなくとも、
新しい情報を得て、もう一つの歴史観を持つだけでも
それまでよりも胸を張り、頭をあげることが出来るようになるものです。
自分の信じている自分の歴史観について再考してみましょう。
本当に真実でしょうか。真実だと思っているとしたなら、
それが真実だと思うのはどの様な理由からでしょうか。
誰かが言ったからでしょうか、自分がそう思うからでしょうか。
出来事という事実は一つとしても、
真実は必ずしも一つとは限らないのですから。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計