
心の葛藤が激しくなると、
それが強迫的な行為となって表れることがあります。
電気のスイッチをちゃんと切ったのかどうか、
ガスのスイッチをちゃっと切ったのかどうか、
鍵をしっかりとかけたかどうか、
気になってしまい何度も確認をしてしまう。
特定の数字がどうしても気になって仕方がなくなる。
マンホールの蓋を見つけては、残らずしっかりと踏む。
または、しっかりと踏んだかどうかが気になってしまい、
何百メーターも歩いて戻ってもう一度踏みに行く。
街で見かけた看板や広告の文字が気になって、
何度も、そこに戻って確認を行う。
TV、ラジオで見聞きした情報が何であったのか、
何度も確かめようとする。
何度も執拗に手を洗う。
外出から帰ったらすぐにシャワーを浴び、
執拗に身体を洗い流す。
執拗に室内の埃や汚れを気にする。
特定のものに触ることが出来ない。
儀式的な行為。
その他にもありますが、
これらを本人だけではなく、
同居する家族にまで強要することもあります。
あがり症や対人緊張、高所恐怖症というような、
殆どの人が持つ気持ちが
過剰になっているものとはちょっと違って、
その人に表れていることを、
そのまま見ると理解し難いものです。
人は、自分の苦しさや辛さが大きくなり過ぎると、
それと直接向き合うことが出来なり、
心は、その原因を直視しなくて済むように形を変えようとします。
このような心の機能は、
現実の世界で欲求が満たされないままでいたり、
何かの不安や心配が解消されないままでいると、
夢を見ることで欲求不満を解消したり、
抽象的、象徴的な映像に変えて、
不安や心配を表したりする夢の現象で説明がつきます。
ですから、以前の私は、
上記のようなことをそのまま扱い、
その症状を本人が持ち続けることを困難な状態とすることを、
目的としたアプローチをしていたこともあるのですが、
最近では、それは水面に映し出されたものを
扱うのと同じであり、
その実体でない姿を扱って
その姿を変えようとしても困難になり、
解決はより可能になると私は考えています。
虚像の裏にある実像。
その抽象化、象徴化されたものを、
見つめると試みだす原因となっている
本当の姿を発見することが出来ます。
この時、施療者がそれを理解するだけでは
意味が全くありません。
それは研究者の行うこと。
現場の施療者は、
それを本人自身に気がついてもらうこと、
本人自身に発見してもらうことが大切で、
それが解決の第一歩となります。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計