アメリカのケンタッキー州の女性が
ネットで明かした自身の名前の由来について
多くの人の反響を呼んだそうです。
父親が当時の愛人と同名にすることで
家庭内でうっかり愛人の名前を呼んでしまっても
誤魔化せるというのが命名の理由だったとのこと。
他人から名前を何度も呼ばれ、
何度も自分で書き、キーボードで打ち込む度に、
名前に込められた意味や音の響きが
暗示効果として無意識にどれ位の影響を与えるのだろうか。
性格形成にどれ位の影響を与えるのかについて
調べ尽くし分析した訳ではないので
それはこれ程の影響を及ぼしますとか言えませんが、
何の影響も受けないと考えることの方が
無理があるとは思うのです。
極端な例ではありますが、
悪行、性悪、臆病と呼ばれる名前の人と
善行、聖人、勇気と呼ばれる名前の人とでは
さすがに人生に及ぼす影響の違いがあるだろうと
普通は考えると思います。
自分の子供の名前の由来が
昔、大好きだった彼女のことを忘れられなくて。
という人がいても不思議ではないと思うのですが、
そうだったとしても
名前の由来を子供に伝える時には、
馬鹿正直に言わずに、いくらでも言える他の理由を
伝えた方が賢明だと思うんですよね。
ケンタッキー州の女性が
父親に愛人がいたことを知らされたのと同時に
自分の名前が上のような理由で命名されたと告げられたら
かなりショックを受けるように思うんですよね。
なのに、しら~と言うのが………
なのでネットで注目を浴びるためと
色々と嘘の話が横行しているのでひょっとして?
もしかしたら女性は結婚していて
子供も三人ほど授かっているような
大人の女性になっていたのだとしたら
「なにそれ、馬鹿なんじゃないの。」てな感じで
割と冷静に落ち着いて聞けるかもね。
ちょこっと気になることとしては、
愛人のことは冷静に聞けたとしても
名前の由来がねえ。
名前は、両親の為に命名するものじゃなくて
名前のように成長してもらいたい。
名前のような人生を歩んでもらいたい。
のように
名前と共に両親の愛情と願いを授かることで
自身と名前が強く深く結びつくのだと
思ったりするのです。
また正直さ、強さ、優しさ、輝き等
両親は、名前に込められたような人生、人物に
なってもらいたいと子供を育てもするだろうから
名前と本人との融合が進んでいくものです。
名は体を表す。とも言いますもんね。
ケンタッキー州の女性ですが
衝撃の命名の理由を教えられたことで
自分と名前とが分離し始めて
ユニホームの背中に記された番号のような感覚、
他人の名前のような感覚にならないかと心配します。
私の母なんですが、もう40年以上前から
私の名前を呼ぶ時に言い間違えて
母親の姉の子の名前を呼ぶことが多く、
10回の内6回は言い間違う印象を持っていて
言い間違う度に互いが笑っちゃうんですが、
あれなんなんでしょうかね。
まあ私が進学し家を出た頃からなので
地元に住んでいる母の姉の子供の方が
単純に名前を呼ぶ機会が多くなったからかなと。