玉置神社の最初の鳥居をくぐって
こんな感じの平坦な参道を
奥へ、
しばらく歩いて
そして、さらに奥へと歩くと
次なる鳥居の出迎えがあり
鳥居をくぐって進むと、また鳥居があって
そこから先は狭い下りの道を
さらに進むと
見えてきたのが大きな杉の木
木の形状から樹齢は相当なものだと思われます。
大きな杉の木を横目に見ながら先へと進むと
また鳥居があり、その先には玉置神社の本社らしき建物が見えてきました。
いよいよ到着したようです。
建材の朽ち方をみると年代を重ねているのがありありと見えます。
この神社が創建されたのは
古事記、日本書紀に記されている第10代天皇で、
現代の日本の学術上、実在可能性が見込める初めての天皇と言われる
崇神天皇の時代だそうです。
崇神天皇が崩御年は、西暦で言うと確かな所は分かりませんが、
ネット調べで西暦15年~20年位とのこと。
そんな古いものが
修繕、建て替えしながらとは言え
今日まで現存しているのは驚嘆します。
社務所と台所
社務所内部は、杉一枚板の板戸及び板壁60枚余りで仕切られていて
全てのふすまに幕末の狩野派の絵師らによる
花鳥図が描かれているそうですが観ることは出来ませんでした。
と言うより観れそうな案内板もなく観れそうな雰囲気がなかったので
私達は尋ねなかっただけなので、もしかすると見れるのかもしれません。
摂社・三柱神社の鳥居
拝殿?本殿?
拝殿?本殿?の横を通って奥へと進むと
出雲大社玉置教会の拝殿?本殿?があります。
ここで参拝をしたおりに学びが一つ。
いつものように2礼(拝)2拍手1礼(拝)で参拝を行ったのですが
タイミングよくいた巫女さんから
ここは出雲大社系なので2礼4拍手一礼が正しい参拝の仕方だと
教えて頂き、参拝を正しい作法で参拝のやり直し。(綺麗な方でした。)
そして、その奥に末社・玉石社への参道が続きます。
さきほどの巫女さんから約20分と教えられていたので
せっかく来たので訪れてみようと歩みを進めたのですが
膝を胸のあたりまで持ち上げて登っていくような階段が
のっけから続きます。
待てと、ちょっと待てと
この感じが20分続くとすると足の筋肉がへろへろになること間違いないと
今日、ここで終わりであるなら決行するのですが
後2か所を訪問することを思うと体力的、時間的にも難しいと判断し、
10段位上った所で、時間にすると15秒か20秒程度で引き返すことに。
はたしてこの判断が情けないのか、もったいないのか、賢明な判断なのか。
この判断の評価は、後の歴史家に任せることにします。
奥の二つが御神輿殿のようです。
その一つの扉には菊の御紋。
そして、御神輿殿の後ろ側から
御神木を近くで見ることが出来ます。
玉置神社境内は、3万平方メートルもあるそうで
永らく聖域として伐採が禁じられていたため
樹齢3000年と言われる神代杉等の巨樹林となっています。
夫婦杉
神代杉
最初の写真の杉は、神代杉でした。
神代杉のアップ
写真には収めていませんが
まだまだ他にも太く大きな杉の木が沢山あります。
ちょっとした屋久島気分を味わえます。
子供の頃に両親と旅行した箱根にも
太くて大きな杉の木が沢山立ち並んでいた記憶があるのですが、
何分記憶が古いので実際はどうだったか。
温泉や神社仏閣や自然を体感する喜びや楽しみなんて全くなく
遊園地やゲームの方が遥かに興味があり、
自然は、遊び場の一つでしかなかった子供の頃に
「静かで良い所だなあ。」と思った位ですから
箱根は相当良い所のはずなのです。
最近、噴火しそうだと言われているので
今は亡き父親との思い出の地でもある箱根が
ぐちゃぐちゃになりはしないかと
かなり心配なのです。
玉置神社は、
標高千メートルの山の中、しかも道が狭くてくねくねの所為なのか、
この日、私たち以外に参拝に来ている人達も多くありませんでした。
だけれども、写真では捉えきれていない
独特の良い雰囲気が漂っていて、
足を運んだ甲斐があったなと思える所でした。
さて、玉置神社、確か2時間ちょっと滞在して、
降りてきた階段を気合を入れて登って
次の目的地、熊野本宮大社へと向かいます。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計
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