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身体感覚と均一化-20世紀の思考-

2006-12-04 21:53:55 | ライフスタイル
以前、拙ブログで紹介した「越後妻有トリエンナーレ」をプロデュースされた北川フラム氏の講演会に週末行ってきた。
その中で、興味のある内容があった。

「身体感覚を忘れ、均一という都市化を進めた20世紀」という言葉だ。
都市化といっても、「高層ビルが建ち並ぶまちづくり」という意味ではない。
合理性とか効率という名のもとに進んだ、「均一化」という意味である。
結果日本全国に「ミニ東京」のようなまちづくりが進み、地域自身が持っていたはずの「伝統・文化」など「地域の資産」を捨てて、どこにでもあるような『まち』を作ってしまったということなのだ。
それがとても皮肉なカタチとなって出てきたのが、夕張市などにみる「ハコモノ行政」による破綻なのかも知れない。
過去、一生懸命にやってきた「夕張映画祭」等よりも、「夕張メロン城」などを観光の柱に置くというのは、ピントがずれているように思うのだが、行政に携わる人たちからすれば「助成金」という『お金』のほうが、大切だったのだろう。
そのような発想・思考が、「都市化」であり「均一化」なのではないだろうか?

では、何故そのようなことが起きるのか?
それは「身体」が置き去りになっているということも、あるのではないだろうか?
大ベストセラー「バカの壁」の作者・養老孟さんもエッセイなどで書いているのだが、「身体感覚がなくなり、頭=脳感覚優先」となっている今を「脳化=都市化」と言っている。
そして、「脳化=都市化」した社会はとても脆い、という指摘をされていた。

他にも「合理化・効率化」ばかりを優先した「人工物」は、自然にとても弱いという話もあった。
「越後妻有」という地域は、「中越大震災」で一番被害を受けた地域でもある。
そこで、大打撃を受けたのは「合理化・効率化」の下行われた「圃じょ整備農地」だったらしい。
昔ながらの棚田などは、土手一つ崩れていなかったということだ。

ただ今問題なのは、私たち自身の「身体感覚」がとても鈍くなっているコトだ。
モノの価値を「お金」で判断し、本質を見極める時間を惜しむような「効率・合理化」を社会益として感じているところは無いだろうか?
最近「ひと手間かけた」とか「ていねいな」という言葉を使う雑誌見出しが、目に付くようになった。
それは、「身体感覚を失いつつあるコト」への、提議のような気がする。