日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ジャージは、ホームウェア?それともパジャマ代わり?

2006-12-20 22:40:13 | ライフスタイル
毎日新聞のWEBサイトにパジャマ:「20~30代男性、着用3割」 世代が若くなるほど寝るときの服で外出と言う記事が掲載されている。
この記事を読んで「あ!自分も・・・」と思われる方は、案外多いのではないだろうか?
実は、私もパジャマと言うよりTシャツにジャージのパンツと言うスタイルで寝ている。
もちろん、この季節は上下ジャージ+フリース製カーデガンだ。
と言うのも、「自宅で過ごすときくらいラクな格好で過ごしたいが、新聞の集金や宅配などを受け取る時は、ある程度サマになった格好が良い」というなんとも身勝手な?理由があるからだ。
その希望を叶えてくれるスタイルが、ジャージなのだ。

確かに、今のジャージはれっきとした「ホームウェア」だ。
通販のホームウェアなどを見ても、総合スーパーの衣料品売り場でも「ホームウェア」として、売られている。
何より、一昔前のような「ジャージらしいジャージ」ではない。
各スポーツメーカーは、スポーツウェア的要素を保ちつつ、街着としても通用するようなデザインを積極的に展開している。
もちろん、ここで言う「ジャージ」は、もっとラフなモノだとは思うのだが・・・。

ただ、このジャージ姿で外出をするか?と問われると、さすがにしない。
ゴミ出し程度でも、一応トレーナーにイージーパンツには着替える。
これが、40代のオバサン年齢の感覚だ。
でも、日曜日の夕方などのコンビニで、ダウンコートの下に上下ジャージを着てで買い物をしている若い男性を見かけたことは、1度や2度ではない。
最初はビックリしたのだが、今や違和感もなくなった。
さすがに、スーパーマーケットでは見ることはないが、若年層のファッションのカジュアル化は、驚くべきスピードで進んでいる。
(実質)生活圏ではラフなスタイル、仕事圏ではお決まりのビジネススタイルでと言うのが、今のファッションスタイルなのかも知れない。

でも・・・パジャマ代わりにしているジャージで買い物だけはヤメて欲しい、と思うのは私がオバサンだからだろうか?
「他人の目」を、もう少し意識して欲しいだけなのだが・・・それは、無理な話なのだろうか?

こころの浮浪児たち

2006-12-20 16:53:47 | 徒然
先月岡崎市で起きた、ホームレス女性の殺害の犯人として14歳の中学2年生3人が補導された。
逮捕ではないのは、この事件を起こしたとき13歳だったからだ。
数年前から、少年・少女が起こす事件を見ていると「こころの浮浪児」という言葉が思い浮かぶ。
「浮浪児」という言葉から思い出されるのは、第二次世界大戦後の焼け野原で両親も親族も亡くし、自分ひとりで生きていかなくてはいけなくなった少年たちの姿だ。
当然、彼らには家もなければ着の身着のまま。
食べるため(=生きるため)に、引ったくりでも物乞いでも、何でもしなくては生きていけなかった頃のあの少年たちの姿だ。

実質個人所得が年々下がっていると言っても、今現在はそのような家庭は少ないはずだ。
ただ、経済的背景だけではなく子ども達がこころの拠りどころとなる「家庭がない」という意味では、今様々な事件を起こしている子ども達やその予備軍と考えられる「プチ・家出」を繰り返す少女や、「援助交際」という名の売春を簡単にしてしまう少女たちも、同じ「こころの浮浪児」なのではないだろうか?

毎年夏休みが終わる8月末になると、「夏休み期間中、友達の家に泊まり歩くプチ家出」少女たちが、ニュースなどで取り上げられる(結局、家出をきっかけに不登校になる場合が多いようだ)。
そして、観るたびに「この子たちの親は、心配しないのだろうか?」と、疑問に思うのだ。
だが、インタビューに応える少女たちは「家(お母さん)には、定期的に(携帯で)連絡しているから、大丈夫」とか「着替えを取りに行くから」と言っている。
「それにしても・・・その間、自分の子どもがどうしているのか心配ではないのか?」と、要らぬ心配をテレビを見ているこちらがしてしまうのである。
もちろん、そのような少年・少女たちは一握りである。

一方、勉強熱心になりすぎる余り、過干渉となり子どもの居場所を取り上げてしまう親御さんもいるようだ。
今年6月に奈良で起きた、高校1年生男子の放火事件などは正に「親の過剰な期待と過干渉による事件」だろう。
彼もまた、家庭が心の拠りどころではなかったように感じる。

終戦直後のような浮浪児の姿はないが、「こころの拠りどころを失った浮浪児たち」が、潜在的に増えているのではないだろうか?
その背景には「お金や物による(分かりやすい)価値基準」が、社会のモノサシとなっていることもあるかも知れない。
あるいは、大人の都合のよい個人主義などが、あるのかも知れない。
ただ、この子ども達は数年もすれば社会に出る。
そして、また新たな「こころの浮浪児たち」を、作っていくのではないか?と心配するのだ。