昨日の、記者会見で民主党・小沢さんの代表辞任→留任劇は、ひとまず幕が下りた。
ただ問題なのは、昨日の小沢さんの記者会見で話したコトだ。
多くの記者の人たちが質問をしたかったのは、「一体誰が『大連立』を持ちかけたのか?」と言うことだったようだ。
ある新聞社の記者さんは、はっきりと「讀賣新聞主筆・渡辺さんから持ちかけられたのか?」という質問をしている(もちろん、讀賣新聞の記者さんではない)。
このとき、小沢さんは「ある人」と言うコトバで「誰か」というコトを濁したが、おそらく多くの記者さんには「あぁぁ、やっぱりナベツネさんか・・・」と感じたのではないだろうか。
と言うのも、小沢さんが最初に「大連立」を持ちかけられた時と、讀賣新聞に「大連立は必要」と言う社説が掲載された頃と時を同じくしているらしいのだ(私は、社説そのものを読んでいないので、その時期が合致するのかわからない)。
以降、讀賣新聞の「大連立」を謳う時期と、「大連立」を持ちかけられる時期が重なるようなのだ。
そればかりか、小沢さんと福田さんがお二人だけで党首会談をした直後に、讀賣新聞がスクープ扱いのように一面で次期内閣構想のような記事が掲載されていた(ようだ)。
「大連立構想」をもっていたのは渡辺さんで、賛同しその橋渡しとなった「総理の代理人」は、森前総理だったのではないか?ともっぱら言われている。
と言うのも、ここ数年の森さんの言動を見ていると、「フィクサー(黒幕)気取り」のようなところがある。
フィクサーというには、表に出すぎているようにも思うのだが、自分が総理大臣になってから、自分の派閥から小泉さん、安倍さん、福田さんと連続4人の総理を輩出し、「私が、総理になれるようイロイロ(根回しなどを)やった」と言う雰囲気をプンプン漂わせているからだ。
もちろん、「イロイロやった」場所は表立ったところではなく、いわゆる「高級料亭」と呼ばれるところで、関係者を集めてひっそりとマスコミに知られることなくやっている、ということを言っているのだろう。
もしかしたら、讀賣新聞の渡辺さんも「フィクサー」になったような気持ちがしたのかも知れない。
「日本の政治の裏は、私が主導し・私の意のままになる」と言う思いが、あったような気がするのだ。
森さんに比べ、マスコミを煙に巻くのも上手な渡辺さんのコトだ、きっと「大連立構想」を新聞紙面でぶち上げると同時に、自分が影で動いているとは思わないだろう・・・くらいに思っていたのではないだろうか?
さて、小沢さんが留任記者会見で「大連立」に、まつわる一連の話を公にした。
一方の当事者である福田さんと、渡辺さんはこれから先一体どう説明をしていくのだろうか?
フィクサーを気取るのも、ご本人にとっては楽しい・優越感のあるコトかも知れないが、時代はフィクサーなど求めてはいない。
そのコトに、早く気づくべきなのではないか?
それとも「老兵は死なず」と言う、意気込みでいるのだろうか?
ただ問題なのは、昨日の小沢さんの記者会見で話したコトだ。
多くの記者の人たちが質問をしたかったのは、「一体誰が『大連立』を持ちかけたのか?」と言うことだったようだ。
ある新聞社の記者さんは、はっきりと「讀賣新聞主筆・渡辺さんから持ちかけられたのか?」という質問をしている(もちろん、讀賣新聞の記者さんではない)。
このとき、小沢さんは「ある人」と言うコトバで「誰か」というコトを濁したが、おそらく多くの記者さんには「あぁぁ、やっぱりナベツネさんか・・・」と感じたのではないだろうか。
と言うのも、小沢さんが最初に「大連立」を持ちかけられた時と、讀賣新聞に「大連立は必要」と言う社説が掲載された頃と時を同じくしているらしいのだ(私は、社説そのものを読んでいないので、その時期が合致するのかわからない)。
以降、讀賣新聞の「大連立」を謳う時期と、「大連立」を持ちかけられる時期が重なるようなのだ。
そればかりか、小沢さんと福田さんがお二人だけで党首会談をした直後に、讀賣新聞がスクープ扱いのように一面で次期内閣構想のような記事が掲載されていた(ようだ)。
「大連立構想」をもっていたのは渡辺さんで、賛同しその橋渡しとなった「総理の代理人」は、森前総理だったのではないか?ともっぱら言われている。
と言うのも、ここ数年の森さんの言動を見ていると、「フィクサー(黒幕)気取り」のようなところがある。
フィクサーというには、表に出すぎているようにも思うのだが、自分が総理大臣になってから、自分の派閥から小泉さん、安倍さん、福田さんと連続4人の総理を輩出し、「私が、総理になれるようイロイロ(根回しなどを)やった」と言う雰囲気をプンプン漂わせているからだ。
もちろん、「イロイロやった」場所は表立ったところではなく、いわゆる「高級料亭」と呼ばれるところで、関係者を集めてひっそりとマスコミに知られることなくやっている、ということを言っているのだろう。
もしかしたら、讀賣新聞の渡辺さんも「フィクサー」になったような気持ちがしたのかも知れない。
「日本の政治の裏は、私が主導し・私の意のままになる」と言う思いが、あったような気がするのだ。
森さんに比べ、マスコミを煙に巻くのも上手な渡辺さんのコトだ、きっと「大連立構想」を新聞紙面でぶち上げると同時に、自分が影で動いているとは思わないだろう・・・くらいに思っていたのではないだろうか?
さて、小沢さんが留任記者会見で「大連立」に、まつわる一連の話を公にした。
一方の当事者である福田さんと、渡辺さんはこれから先一体どう説明をしていくのだろうか?
フィクサーを気取るのも、ご本人にとっては楽しい・優越感のあるコトかも知れないが、時代はフィクサーなど求めてはいない。
そのコトに、早く気づくべきなのではないか?
それとも「老兵は死なず」と言う、意気込みでいるのだろうか?