先日書店で、気になる本があった。
アスキー新書の新刊「応援したくなる企業の時代」という本だ。

この本に興味が引かれた理由は、そのサブタイトル「マーケティングが通じなくなった生活者とどつき合うのか」という文言だった。
読了しての感想は、「小手先のマーケティングが通じなくなっただけで、マーケティングの本質はいつの時代も変わらない」というコトだった。
あくまでも私の感想なので、実際に手にとって読んでいただきたいと思っている。
「小手先のマーケティング」の一番顕著な例が、「リストラと高度成長期の成功体験に基づく思考」だろう。
バブル以前の「高度成長期の成功体験(=生活者は企業が提供する新しいモノを購入したがる)」が、企業を硬直化させより安易で短期的利益を上げられる方法=「リストラ」へと突き進む結果となったのでは?
日本経済がバブル崩壊以降、低迷しつづける要因の一つが、本来の「リストラクチュアリング=事業再構築」ではなかったという点があると考えている。
「事業再構築」という事であれば、一番最初にされるべき内容は「拡大路線事業の見直しと得意事業分野の特化」だったはずなのだ。
ところが「企業そのものの社会における存在意義を企業全体で考え直す」⇒「事業の見直しと再編、特化」をすることなく、短期的な利益確保のために、アメリカ生まれの耳障りの良いコトバ「リストラクチュアリング」の一部を利用し、「首切り」を国内規模であらゆる企業が行っただけなのだ。
「短期的利益確保のためのマーケティング」というのが、「小手先のマーケティング」という事だ。
チョッと見変わったように見える小奇麗な広告や、データ中心で生活者の心や行動に目を向けていないマーケティングというコト。
「それがマーケティングである」と、言われつづけてきた20年でもあると感じている。
「データ中心のマーケティング」と言うと、「マーケティングはデータ中心で当然」と思われる方のほうが多いと思う。
しかし、随分前、多分私がマーケティングという仕事を始めた20年以上前から、「データは嘘をつく」と言われてきたコトもまた事実なのだ。
グループインタビューなど、生活者から直接意見を聞きデータ化する内容であっても、その質問方法やインタビュアーの誘導によって、いかようにもデータを作ることが可能だという点を見過ごし、企業にとって都合の良いデータ(他社とのわずかばかりの性能の向上を「違い」として大きくクローズアップさせるなど)を「生活者発想のマーケティング」としてきただけなのでは無いだろうか?
もちろん、これからの日本の企業のあり方として考えなくてはならない点も多く示唆されている。
何より重要なことは、バブルが崩壊しリストラの嵐の中ですっかり忘れ去られてしまった「企業が社会の中で存続する意味と意義=企業理念」というコトだ。
そして、マーケティングは「ひとと社会をしあわせにするためにある」という、普遍的なテーマは変わらないというコトだと考えている。
アスキー新書の新刊「応援したくなる企業の時代」という本だ。

この本に興味が引かれた理由は、そのサブタイトル「マーケティングが通じなくなった生活者とどつき合うのか」という文言だった。
読了しての感想は、「小手先のマーケティングが通じなくなっただけで、マーケティングの本質はいつの時代も変わらない」というコトだった。
あくまでも私の感想なので、実際に手にとって読んでいただきたいと思っている。
「小手先のマーケティング」の一番顕著な例が、「リストラと高度成長期の成功体験に基づく思考」だろう。
バブル以前の「高度成長期の成功体験(=生活者は企業が提供する新しいモノを購入したがる)」が、企業を硬直化させより安易で短期的利益を上げられる方法=「リストラ」へと突き進む結果となったのでは?
日本経済がバブル崩壊以降、低迷しつづける要因の一つが、本来の「リストラクチュアリング=事業再構築」ではなかったという点があると考えている。
「事業再構築」という事であれば、一番最初にされるべき内容は「拡大路線事業の見直しと得意事業分野の特化」だったはずなのだ。
ところが「企業そのものの社会における存在意義を企業全体で考え直す」⇒「事業の見直しと再編、特化」をすることなく、短期的な利益確保のために、アメリカ生まれの耳障りの良いコトバ「リストラクチュアリング」の一部を利用し、「首切り」を国内規模であらゆる企業が行っただけなのだ。
「短期的利益確保のためのマーケティング」というのが、「小手先のマーケティング」という事だ。
チョッと見変わったように見える小奇麗な広告や、データ中心で生活者の心や行動に目を向けていないマーケティングというコト。
「それがマーケティングである」と、言われつづけてきた20年でもあると感じている。
「データ中心のマーケティング」と言うと、「マーケティングはデータ中心で当然」と思われる方のほうが多いと思う。
しかし、随分前、多分私がマーケティングという仕事を始めた20年以上前から、「データは嘘をつく」と言われてきたコトもまた事実なのだ。
グループインタビューなど、生活者から直接意見を聞きデータ化する内容であっても、その質問方法やインタビュアーの誘導によって、いかようにもデータを作ることが可能だという点を見過ごし、企業にとって都合の良いデータ(他社とのわずかばかりの性能の向上を「違い」として大きくクローズアップさせるなど)を「生活者発想のマーケティング」としてきただけなのでは無いだろうか?
もちろん、これからの日本の企業のあり方として考えなくてはならない点も多く示唆されている。
何より重要なことは、バブルが崩壊しリストラの嵐の中ですっかり忘れ去られてしまった「企業が社会の中で存続する意味と意義=企業理念」というコトだ。
そして、マーケティングは「ひとと社会をしあわせにするためにある」という、普遍的なテーマは変わらないというコトだと考えている。