日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

人と組織

2011-06-17 15:09:11 | ビジネス
最近、テレビを見ない代わりに本を読んで過ごすことが多くなった。
今は10年ほど前に購入した、ドラッカーの「チェンジリーダーの条件(「マネジメント」エッセンシャル版)」を読んでいる。
何故今「チェンジリーダーの条件」なのか?と聞かれれば、やはり今が様々な価値観が大きく変わろうとしている時だから、というのが理由となる。
その中で、改めて考えてしまったことが今日のタイトル「人と組織」という事だ。

「東日本大震災」が発生する以前から、日本の政治というのは停滞気味だった。
国会を見ても「不毛で建設的な意見」など期待できるわけでもなく、野党になってしまった旧与党は、かつて野党を批判した「何でも反対路線」を踏襲しているように思える。
肝心要の与党・民主党などは、与党でありながら身内に野党を抱えてしまった状態だ。
その「身内野党」の勢いは留まらず、余計国会が混乱する要因となっている。
「民主党」というある組織にいながら身内を批判する、というのはこれまでの「組織」という考え方からすると、大きく外れている。

そしてこのような日本の政治は、何も民主党が与党となった頃から始まったわけでは無い。
自民党が与党だった頃も、風向きが悪くなるたびに「○○降ろし」という、総裁降ろしが何度もあった。
その反省というか反面教師的な部分で、民主党が勉強をしていない、という点が問題なのだと思う。

それでは何故、「○○降ろし」という事が起きるのか?
やはり「組織」というモノに縛られているからでは無いだろうか?
と同時に「自分可愛さ」という、自己都合があるように感じている。

ドラッカーは「人は組織のためにあるのでは無い」と言っているが、今の政党には「自分のために組織がある」という状態になっているような気がする。
この場合「人」というのは、「社会的責任が果たせる人」というのが条件だろう。
その「社会的責任」が果たせるのかわからない状態で、組織の体面ばかりを保とうとするから、余計おかしなコトになるのでは?

それは、今現在の東京電力の本社対応にも同じコトが言えるような気がしている。
「人ありき」という考えよりも、「東京電力」という組織と既得権益を守らねば!という強い意志は感じられても、そこには「社会的責任」が感じられない。

ドラッカーの言う「マネジメント」の中心にあるはずの「その組織が果たすべき役割と責任」を先延ばしにされればされるほど、震災の復興と「福島第一原子力発電所事故」の収束は遠のくのでは無いだろうか?

そして今必要なのは、旧来の組織のあり方ではなく、変化に対応できる柔軟な組織への転換なのだと思う。
その意味で、日本の悲劇があるとすれば「変革の先頭に立つべき人材がいない」というコトなのかも知れない。