今日の新聞の真ん中に、資生堂の広告が掲載されていた。
登場人物は、前田美波里さんと岸恵子さんのおふたり。
前田さんは60代、岸さんは多分70代だと思う。
でも広告の写真で拝見する限り、とても60代、70代には見えない。
もちろん女優という職業柄、お肌の手入れなどもキチンとされ、体のケアも私たちよりも念入りに丁寧にされているとは思う。
確かに実年齢よりもお若く見えるお二人だが、だからといって「若づくりをしている」という感じではない。
その点から見れば最近何かと話題になっている、「美魔女」と呼ばれる女性たちとは随分違う印象がある。
どちらかというと、「丁寧に年を重ねてきた風格」のようなモノを感じる。
違う言い方をすれば、「良い年の取り方をしてきた」というコトになるのだろうか。
私が学生だった頃、世間では女子大生ブームと呼ばれていた。
「女子大生」というだけで、なんとなく世間がもてはやした時代だった(もちろん、私にはそんなブームは無縁だった)。
それがいつしか「女子高校生」になり、今でも「女子高校生」は、市場価値があるようなところがあるようだ。
だからなのだろうか?今の高校生たちにとって、高校を卒業すると自分の存在価値がなくなってしまい、いきなり「オバサン化」すると思っているような節がある。
確かに、今の日本は「若年層に高い価値がある」という感覚はある。
特にそのようなコトを求める男性は多い。
そのことを批判する気は無いし、したところで「オバサンの遠吠え」でしかないことぐらい認識をしている。
ただ、なんとなく「若い」コトに対しての過剰な価値化は、決して社会にプラスではないような気がするのだ。
誰しも若々しい自分でありたい、と思うことは自然なことだが、若いだけでは魅力とはならないように思う。
そこには「良い年齢の重ね方」というモノがあり、それが実年齢ではない「見た目年齢」を作り出すように思えるのだ。
そして「良い年齢の重ね方」というのが、とても難しいように思う。
それは人口が減少していく日本という社会の中で、とても重要なポイントなのではないだろうか?
というのも、これまでと同じ社会的生産性を求めるのであれば、必然的にそれなりの年齢の方々にも参加してもらわなくてはならない。
であれば、企業の肩書きだけを頼りにしてきた人よりも、様々な経験を通して柔軟性のある発想力と行動力のある人材が求められるはずだ。
そしてそのような人材は、実年齢よりも若々しい印象の人なのではないだろうか?
だからこそ高齢化社会の中で、「良い年齢の重ね方」というのは、とても重要な気がする。
そんなことを感じた、資生堂の広告だった。
登場人物は、前田美波里さんと岸恵子さんのおふたり。
前田さんは60代、岸さんは多分70代だと思う。
でも広告の写真で拝見する限り、とても60代、70代には見えない。
もちろん女優という職業柄、お肌の手入れなどもキチンとされ、体のケアも私たちよりも念入りに丁寧にされているとは思う。
確かに実年齢よりもお若く見えるお二人だが、だからといって「若づくりをしている」という感じではない。
その点から見れば最近何かと話題になっている、「美魔女」と呼ばれる女性たちとは随分違う印象がある。
どちらかというと、「丁寧に年を重ねてきた風格」のようなモノを感じる。
違う言い方をすれば、「良い年の取り方をしてきた」というコトになるのだろうか。
私が学生だった頃、世間では女子大生ブームと呼ばれていた。
「女子大生」というだけで、なんとなく世間がもてはやした時代だった(もちろん、私にはそんなブームは無縁だった)。
それがいつしか「女子高校生」になり、今でも「女子高校生」は、市場価値があるようなところがあるようだ。
だからなのだろうか?今の高校生たちにとって、高校を卒業すると自分の存在価値がなくなってしまい、いきなり「オバサン化」すると思っているような節がある。
確かに、今の日本は「若年層に高い価値がある」という感覚はある。
特にそのようなコトを求める男性は多い。
そのことを批判する気は無いし、したところで「オバサンの遠吠え」でしかないことぐらい認識をしている。
ただ、なんとなく「若い」コトに対しての過剰な価値化は、決して社会にプラスではないような気がするのだ。
誰しも若々しい自分でありたい、と思うことは自然なことだが、若いだけでは魅力とはならないように思う。
そこには「良い年齢の重ね方」というモノがあり、それが実年齢ではない「見た目年齢」を作り出すように思えるのだ。
そして「良い年齢の重ね方」というのが、とても難しいように思う。
それは人口が減少していく日本という社会の中で、とても重要なポイントなのではないだろうか?
というのも、これまでと同じ社会的生産性を求めるのであれば、必然的にそれなりの年齢の方々にも参加してもらわなくてはならない。
であれば、企業の肩書きだけを頼りにしてきた人よりも、様々な経験を通して柔軟性のある発想力と行動力のある人材が求められるはずだ。
そしてそのような人材は、実年齢よりも若々しい印象の人なのではないだろうか?
だからこそ高齢化社会の中で、「良い年齢の重ね方」というのは、とても重要な気がする。
そんなことを感じた、資生堂の広告だった。