日々是マーケティング

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霞ヶ関周辺の発想の転換を進めるには?

2012-03-14 19:50:01 | 徒然
一昨年話題になった、サンデル教授の「ハーバード白熱教室」。
ご覧になられた方も多かったと思う。
番組を見ていて感じたことは、「決して正解を求めない」というコトだった。
サンデル教授の授業が「政治哲学」という分野だということもあるが、おそらく日本の大学で「政治哲学」の授業があったとすれば、あのような授業ではなくテキストを元に教授が黒板に書く内容を学生が静かに聞いてノートをとる、というものなのではないだろうか?
当然、試験問題もその授業でとったノートが中心になるだろう。
ある意味「正解のある問題」を回答する、という内容だ。
それが「良い悪い」といっているのではない。
ただ、そのような「正解のある問題」を解く力では、今の社会的問題は解決できない、というコトなのだ。

考えてみれば、日本にとって大きな転換期となった「明治維新」で活躍をしたのは、下級武士出身者が多かった。
今でも人気の高い坂本竜馬などは、その典型だろう。
それまでの社会枠から飛び出さんばかりの発想力と行動力を持った若い世代が、明治維新や近代日本を創るきっかけとなったのだ。
とすれば、入試問題を含め「正解の分かっている過去問に強い人材」よりも、一つの物事からいくつも発想ができる人材が必要、というコトになる。
特にそのような能力を必要とされるのが、キャリア官僚と呼ばれる人たちだろうし、キャリア官僚養成大学である東京大学が求めるべき学生なのではないだろうか?

東京大学の学生全てが、「過去問には強いが、発想力はイマイチ」という学生ばかりではないと思う。
ただそのような学生は、キャリア官僚を目指さないだけなのかも知れない。
もしかしたら、霞ヶ関という大きな組織の中に組み込まれることで、発想力はパワーダウンし前例主義が当然となっていくのかも知れない。
ならば民間企業から、ヘッドハンティングをするくらい必要なのでは?
組織という体の血の巡りをよくするためにも、フレッシュな人材が必要なのだと思う。
以前あった映画「県庁の星」のような人事交流が、キャリア官僚の発想の転換を促すのかも知れない。

「正解のある過去問」は、過去のコトであって今のコトではない。
過去にしがみついていても、何も変わらない。
まずそこから、発想を変える必要があるような気がする。