日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

視点を変える、発想を変える

2013-08-28 20:34:26 | アラカルト

お盆で実家に帰省している間、読んでいた本がある。
片山恭一さんの「死を見つめ、生をひらく」と言う本だ。
片山さんと言えば、「世界の中心で愛を叫ぶ」という大ベストセラーがある。
そんなロマンチックな雰囲気など、一片もないのが本書だった。

ただ読み進めているうちに、一つ感じたコトがある。
それは、「技術の発展は、人の幸福に結びつく訳ではない」と言うコト。
確かに、様々な技術の発展により、クルマは進化し、巨大な場所を必要としたコンピューターは手のひらに収まるようなサイズになった。
10年あまり前、盛んに言われていた「ユビキタス社会の実現」も、当時は20年先か?25年先の話か?と思われてたが、iPhoneに代表される「スマートフォン」の登場により、一気に当たり前のこととなってしまった。

確か様々な技術の進歩は、私達の生活を便利な道具を与えてくれた。
でも、フッと立ち止まって考えると、「生活に便利な技術を使っているのか?」と言うと「技術に使われているのでは?」と、感じるコトがある。
それだけではない。
「情報」と言う、目に見えないモノに振り回されている時があることに、気づくコトがある。
「最新の情報を得なくては、時代に乗り遅れてしまうのでは?」と言う、ある種の危機感を常に持ちながら、不要な情報まで得ようとしているのかも知れない。

そう考えると、「技術の発展」というのは、私達の生活を便利で快適にしてくれたけれど、だからと言って幸福になったのか?と言うと、決してそうではないように思えるのだ。

他にも「(様々な技術を)コントロールしているようでいて、本当は(様々な技術に)コントロールされているのでは?」という、疑問を呈している。
それが顕著なのが「原発なのでは?」と・・・。
「フクシマ事故」以前、私達は「技術の進歩により、原発は(どのような)自然災害があっても、被害を出さない様にできている」と、思い込んでいた。
しかし、巨大で甚大な被害を出した自然の猛威の前では、もろく崩れ去ってしまった。
「技術によって制御されているモノは、それを超える技術でしか制御できない」という一文もまた、真実だと思う。

東北大震災以降、多くの日本人が「技術の進歩では得られない、幸福」というモノを探し求めはじめている。
それは、皮膚感覚的に「様々な技術の進歩で、私達の生活は便利で快適にはなったが、だからと言って、その生活に幸福感があるのか?」という疑問を感じているからなのではないだろうか?

「人を真ん中において考えてみる」と、今とは違う発想や視点が生まれてくるのでは?
その発想や視点の中心にあるのは、技術の進歩や情報でない「人を見つめ・幸福とはなにか?」というこれまでとは違う価値の創造になると思う。