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独裁者は「自由と教育」が嫌い?!

2014-10-10 20:02:39 | 徒然

ノーベルウィークも終盤。
今日は、「ノーベル平和賞」の発表があった。
「憲法九条を保持している日本国民」も候補として上がっていたようだが、最終的にはパキスタン人のマララさんとインドの代表・カイラシュ・サティアティ氏に決まった。

今年の平和賞のキーワードとなっているのは、「女性や若者に対する教育」と言うことのように感じた。
マララさんについては、学校への通学途中に狙撃をされ「九死に一生を得る」という中での受賞。
マララさんは現在はイギリスに住んでいるので、身の安全は確保されてはいると思うが、彼女が狙撃をされた理由はご存じの通り「女性の教育機会を奪わないで欲しい」という訴えに対する報復だった。

考えて見れば、昔から「独裁者」とか「独裁組織」と言われる人達は、「(自分達以外の)自由と(自分達に都合の悪い)教育」に対して、排除をしてきた。
今世界的に問題となっている、過激派集団「イスラム国」も、彼らにとって都合の悪い「自然科学」や「語学」などの教育は排除し、自分達の勝手な解釈による「宗教教育」だけを、男子に教えている。
ここでも、女子の教育というのはないがしろにされ、彼らのにとって「都合の良い存在としての女子」だけが求められている。

「自然科学」などの教育は、自分達の勝手な解釈ができず、都合が悪いので教育の対象とならないのだと思う。
そして、「自然科学」の他の民族とコミュニケーションを図ることができる「語学」などの「教育」は、人々に自由を与える。
人々の自由は、行動だけではなくその発想(「思想」と言うべきか?)を生み、独裁者や独裁集団にとって都合の悪いことを、支配している人達が起こす可能性が高いからこそ、自分達の「(身の)安全のため」に排除をし続けるのだろう。
逆に考えれば、独裁者や独裁集団にとって都合の良い社会は、「教育も自由もない社会」ということだろう。
もっと違う見方をすれば、「息苦しいだけの社会」ということになる。

今回のノーベル平和賞は、その様な独裁者や独裁集団に対する、懸念のあらわれの様な気がする。
何故なら、今「イスラム国」へ行きたがっている若者達の中には、これまで言われていた様な、イスラム圏からの貧困層の移民ではなく、比較的裕福な家庭の若者達が参加する様になってきているからだ。
裕福な家庭と言うよりもこれまで受けてきた「教育」や今手にしている「自由」の意味を、考えなさい!と言っている様にも感じる。

なにはともあれ、マララさん、カイラシュ・サティアティさん、ノーベル平和賞受賞おめでとうございます。
特にマララさんの行動は、途上国における女性の教育と自由の意義を世界に知らせるモノだったと、思います。