一昨日、ストックホルムで行われた「ノーベル賞授賞式」。
その華やかな話題とともに、日本人受賞者の声なども新聞などで、報道された。
今回受賞をされた、医学・生理学賞の大村智博士は、授賞式では亡くなられた奥様の写真と一緒に研究をしていた同僚の写真をもって、授賞式に臨まれたという話が、新聞に掲載されていた。
このような報道を読むと、つくづく人格者だな~と感じてしまうのは、私だけではないと思う。
そして、今日の日経新聞に改めて大村博士の「人としての器の大きさ」を実感するような、記事が掲載されていた。
日経新聞:大村氏「ノーベル賞の賞金、人材育成する法人に寄付」
大村博士がすでに、出身地である山梨に美術館などを寄贈されている、というニュースはノーベル賞受賞の報道があったときに、話題になった。
細菌の研究者という一面だけではなく、美術などにも造詣が深いという点では、今までのノーベル賞受賞者とは違う一面を感じさせてくださったと思う。
そして今回の「ノーベル賞の賞金」の使い方にも、大村博士のお人柄が出るような使い方ではないか?という、気がしたのだ。
もちろん、これまでのノーベル賞受賞者の方々も、賞金の使い方というのは「今後の研究・発展のため」に使われていると思う。その中で「人材育成」というピンポイント(というべきか?)への使い方を明言される、というケースは珍しいような気がする。
一方で「人を育てる」という点で、寂しいニュースもあった。
安倍政権が「子供の貧困対策」として打ち出した「子供の未来応援基金」への企業からの寄付が、ほとんどないということが、分かったのだ。
東京新聞:子ども貧困対策、黄信号 基金寄付金300万円止まり
基金がスタートしてから、わずか2か月という短い期間なので、ある部分では仕方ないのかもしれないが、寄付があった企業がわずか2社というのは、あまりにも寂しい。
安倍政権になってから、大企業に対しての法人税は下がっている。
その結果、設備投資や従業員の給与アップや正規雇用者が増えている、というのであれば良いのだが、そのような傾向は見られず、内部留保だけが増えている。
おりしも「軽減税率」の話題などで、生活者の多くが「税」に対して関心を持ち始めている。
法人税が下がったコトで国の税収は減り、その分を生活者への負担となっている部分がある、と感じている生活者は少なからずいるはずだ。
法人税が下がり、大企業は内部留保を増やし・・・というのでは、やりきれない(と感じるのは、私だけではないと思う)。
増えた内部留保のうち、1%でも良いから社会のために使う、ということができないのだろうか?
大村博士は、ノーベル賞の賞金の使い方について、「金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上」と、明治の政治家・後藤新平が言っているように、いい人を残すこと」と、話していらっしゃる。
これから先、日本人の研究者がノーベル賞をコンスタントに受賞できるよう、企業も動く必要があるのでは?
そのような企業であれば、生活者からもまた支持を得ることができ、優秀な人材もまた集まると思う。
そのような、長期的な視野に立った「お金の使い方」を、企業が積極的にしなくてはいけない時代が来ていると思う。