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お願いする相手が、違っていると思う-演歌復活を政治家にお願い-

2016-03-23 21:59:40 | 徒然

朝日新聞のWEBサイトを見ていたら、「え?!」と思う見出しがあった。
朝日新聞:演歌復活、政治家とタッグ、瀬川英子さん「お力を貸して」

おそらく私と同世代の人たちより下の世代の人たちにとって、「演歌」という分野の楽曲は「おじさんが聞く音楽」だと思っているのではないだろうか?
もしかしたら、団塊の世代の人たちの中には「演歌は聞かない。ビートルズ世代だ」と、いう方もいらっしゃるかもしれない。

「演歌」という音楽カテゴリー(というほどではないが)が生まれたのは、おそらく1960年代後半から1970年代の頃だと思う。
シンガーソングライターと言われる、自分で作詞作曲をし演奏をする、という人たちが登場し、同時に「アイドル」と呼ばれる人たちが次々と、オーディション番組や公開オーディションなどから登場をし、それまで「歌謡曲」と呼ばれていた音楽が、様々なカテゴリー分けされるようになり「演歌」という分野も生まれたような、印象を持っている。

その「演歌」で歌われる世界というのは、男女の情愛にやや不幸のエッセンスを足したような世界観(というと大袈裟だが)を、持っているように思う。
確かに昭和の頃は、そんな情愛の世界観もあったかもしれないが、時代とともにそのような世界観は無くなってきたように思う。
その当時と比べると、恋愛スピードそのものが早くなり、相手に思いを告げる「告白」という言葉は、「こくる」になってしまった。
しかも「ラブレター」ではなく「メール」で、日ごろの思いをやり取りするのが、当たり前になっている。
「思い焦がれて・・・」という、演歌で歌われるような世界そのものが、無くなってしまっている。
今という時代と社会感覚の中では「演歌」で歌われる世界というのは、あまりにもミスマッチな世界なのではないだろうか?
違う言い方をすれば、受け手となる人たちから「共感」されない音楽、になってしまったのでは?

事実、昨年NHKの「紅白歌合戦」に久しぶりに登場した、小林幸子さんは「ボーカロイド」という音楽を加えることで、若い人たちから「ラスボス」と呼ばれ、人気になっている。
ご存じのように小林幸子さんは「演歌歌手」として、ステータスもあり「大スター」と呼ばれてきた人だ。
その小林幸子さんが、「演歌」という音楽カテゴリーに軸足を置きながら、新しい音楽技術である「ボーカロイド」に挑戦するコトで、「新しい演歌」を創ろうとしている。

そのような挑戦もないまま、「演歌」のために政治家に「力を貸して」とお願いするのは、筋違いのような気がするのだ。
確かに掲載されている写真を見ると、「演歌」と親和性の高い政治家ばかりという印象がないわけではないが、政治家にお願いしたところで、「演歌」という音楽が再び多くの人に受け入れられるようになるとは思えない。
むしろ、お願いされた政治家さんたちを見ることで、「自分たちの聞く音楽じゃないな!」と思う人たちのほうが多いのでは?

今までのような演歌で、人気を得ようとするのではなく、小林幸子さんのような「新しい演歌」を創っていくことのほうが大切なのではないだろうか?