1970年代に活躍した、女性シンガー・ヘレン・レディの訃報が飛び込んできた。
時事通信社:歌手ヘレン・レディさん死去「私は女」で全米1位
ヘレン・レディと言っても、彼女の名前と歌を知っている世代は、私と同世代の洋楽ファン位なものだろう。
既に、「過去の女性シンガー」といっても過言ではなかったかもしれない。
ただ、時事通信の見出しにある「私は女」という全米1位の楽曲は、今でもアメリカの人権に関するデモなどで、使われることが多い。
「私は女」というタイトルではあるが、今では「人権の歌」として、広く歌われる楽曲となっているのだ。
その理由は、歌詞の内容にも関係するのだが、やはり時代背景によるところが大きいような気がしている。
この楽曲が全米でヒットしたのは、1972年。
先の見えないベトナム戦争の長期化によって、反戦運動が若い世代を中心に起こり、時を同じくして起きた「公民権運動」と連動するかのように「女性の権利」を、女性たちが訴え始めた頃でもあった。
いわゆる「ウーマンリブ」という、運動だ。
そのような米国社会の中で生まれた楽曲が、「I Am Woman」だったのだ。
日本でヒットした頃、中学生だった私には「随分直接的なタイトルの楽曲だな~」という感じだった。
ただ、直接的なタイトルの楽曲が、全米No.1ヒットになるということに、米国の懐の深さのような自由さに憧れたのも事実だった。
その後、ヘレン・レディは週末の音楽番組の司会をするなど活躍をするのだが、米国でヒットする楽曲が変化し表舞台から去っていったような記憶がある。
それから40年以上の時間が過ぎ、再びこの「I Am Woman」が、全米に響くことになる。
LGBTQの人や、差別がなくならない黒人たちの人権など、クローズアップされ「生きる多様性と人権」ということが、叫ばれるようになったからだ。
この時には「Woman」というのは、女性という意味から「生きる多様性と人権の象徴」という意味に変化している。
あくまでも「Woman」という言葉は、多様な生きる権利を求める人達のキーワードなのだ。
2017年のロサンゼルスで行われた「Women's March」では、ヘレン・レディ自身がステージに立ち「I Am Woman」を歌っている(ヒットした1970年代のような張りのある歌声ではなく、認知症の症状も現れ始めているようにも思えるのが、残念だ)。
youtube:HELEN REDDY ”I Am Woman”
日本語訳となると、どうも勇ましい感じになってしまうようだが、
「これまで虐げられてきた中で、数多くのことを知り賢くなった。どれほど遠くにあるゴールでも諦めたりはしない。私たちは、強く負けない信念を持っている」
という内容の歌詞である、ということだけは知ってほしい。
果たして今の日本社会はどうなのだろう?
先日の杉田水脈氏のような発言が、女性側から出てくる現実は、ヘレン・レディが「I Am Woman」歌っていた頃から変わっていないどころか、遡るような価値観に変化していないだろうか?
ヘレンレディの訃報を知り、そのようなことを考えてしまった。