毎日新聞のWEBサイトを見ていたら、懐かしい言葉があった。
毎日新聞:異端狩りを始めた菅政権 日本学術会議への人事介入は「レッドパージ」の再来である
懐かしい言葉というのが、「レッドパージ」だ。
もちろん、私の世代では「レッドパージ」という言葉さえ使うことが無かったが、映画「追憶」では、この「レッドパージ」がストーリーの重要な点でもあった。
学生の頃、名画座と呼ばれる映画館で「追憶」を見た時、「あ~~、レッドパージとは、このようなモノであったのか」ということを、知ったのだった。
Wikipediaなどで「レッドパージ」と検索をすれば、その内容を確認することができると思う。
だが、検索で調べた内容よりも、米国での「レッドパージ」はすさまじいものだったような気がしている。
当時米国で活躍していた、喜劇王・チャップリンが米国を離れスイスに移り住んだのも、この「レッドパージ」がハリウッドに吹き荒れたからだ(と言われている)。
それほど「レッドパージ」は、一つの政治思想的なものから逸脱し、学術や芸術などの分野にまで影響を及ぼした「一種の思想狩り」だった。
日本では「赤狩り」と呼ばれ、いわゆる「共産主義者」と言われる人たちが対象となり、多くのメディア関係者が解雇・追放という処分をされた。
「レッドパージ」が、米国だけではなく西欧諸国、日本など「自由主義=西側諸国」を謳う国で行われた、というのはなんとも皮肉な話だが、「レッドパージ」が行われた背景には、米ソによる「冷戦時代」の始まりという、世界的危機感があったからだ。
ソ連(当時)が「共産主義国家」として、東欧を飲み込み核開発を積極的に行うことで、西側諸国にとっては様々な意味で脅威と映ったはずだ。
だからこそ「共産主義」らしきことを言う人物がいれば、その真意を確かめることなく告発され、職をはく奪されるということが行われていたのだ。
そのような悪夢を、思い起こさせているのが、現在の菅政権であるというのが、毎日新聞の記事になるのだが、菅政権になる前の安倍政権の時既に、このような芽が出ていたような気がする。
それが安倍政権末期(と呼んでよいのだろうか?)となる一昨年・昨年あたりから言われてきた「反知性主義」だ。
「反知性主義」の典型と言われるのが、現米国のトランプ政権なのだが、このトランプ政権に同調するかのような政治手法を取ったのが、安倍前首相だったように思う。
その安倍前首相の路線を引き継いだ現政権・菅政権そのものが、「反知性主義」的考えを持っていても何らおかしな話ではない。むしろ、当然のことだろう。
それが表面化したのが、今回の「日本学術会議」に対する任命拒否に対する説明をしない、という態度なのだと思う。
その結果として、安倍政権時代から続いている「自分とは違う考えを排除したい」という姿が、見え隠れするように感じる人達にとっては「菅内閣のレッドパージ」という言論統制と、感じるのではないだろうか?
ハリウッドに吹き荒れた「レッドパージ」によって、喜劇王・チャップリンは米国を去った。
同様に、安倍政権から続く「反知性主義的政治」によって、将来を期待されるような研究者が日本を去るような状況になるのは、日本にとってデメリットでしかない。
何より、そのような社会はごく普通に暮らしている私たちもまた、暮らしにくい社会なのではないだろうか?