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「国産」回帰は、グローバル化への逆行なのか?

2020-11-06 21:15:17 | ビジネス

日経新聞のWEBサイトに掲載されているCOMEMOに、「そういう考え方もあるのか?」という、記事があった。
COMEMO:行動経済学から考えると、「もしもの備え」としての国産消費は、良い策ではないかも

「新型コロナウイルス」の感染拡大によって、日本の多くの生活者が実感したことの一つが「国産品の少なさ」と「国産品への信頼と安心」だったのではないだろうか?
特に「アベノマスク」なるモノまで登場させることになった「マスク」については、ドラッグストアーから「マスク」が消え失せて初めて、生産を日本国内で行っていない=Made in Chinaがほとんどであった、ということに気づいたのではないだろうか?

今回の「新型コロナウイルス」の発生源が、中国武漢であったことから、中国からの輸入品が真っ先に停止となっただけではなく、中国国内での「マスク需要」が急激に増えたため、日本への輸出が止まってしまった、という事態になった。
そのような状況になって、初めて「国内生産の必要性」ということが、社会的に言われるようになってきた、というのが今回の「国産」商品への回帰を生んだのではという、認識を持っている。
とすれば、COMEMOで指摘されているような「もしもの備え」としての国産消費ではなく、「もしもの備えの海外生産・国内消費」ということになるのでは?という、気がしたのだ。

それだけではなく、「自粛期間中」に制限をされたのは「人の移動」であって、「物の移動」ではなかった。
もちろん、海外への輸出・輸入に関しては、多くの国々が航空便などを制限したり、取りやめたことで停止状態になってしまった、という事実はある。
そのような事実はあるが、基本的には「物流」としての「物の移動」に限定した国々は、ほとんどなかったのでは?という気がしている。
そして「移動の制限」の理由は、上述した通り「新型コロナウイルス」の感染拡大防止であり、それが「国産・国内消費」を勧める為の策ではなかった、ということも考える必要があると思う。

「国産・国内消費」の発想の始まりは、上述したように「グローバル化のリスク」を実感したからではないだろうか?
「グローバル化のリスク」を実感したからこそ、「必要なモノは国内生産をし、安定供給ができるようにしなくてはならない」という、認識に繋がったのではないだろうか?
それは「新型コロナウイルス」の世界的感染拡大により、生活者の価値観は「少々高くても(製品として)安心できる、国産を優先的に購入したい」という変化だったように思う。

ご存じの通り「国産製品」の多くは、東京などの都市部に比べると200円近く最低賃金が安い地方で、つくられている。
最低賃金が安いということは、当然収入の格差がある、ということになる。
地方経済が疲弊し、縮小することは「国産」の危機ということにも繋がっているはずなのだ。
それが、生活者の「国内産なら、少々高くても優先して購入したい」という意識変化によって、わずかかもしれないが最低賃金の格差が縮まるチャンスとなるかもしれないのだ。

そのような視点で考えた時、今回の「新型コロナウイルス」が社会にもたらしたことの一つは、都市部の人たちには見えなかった「国産」という安心感であり、「もしもの時の国産」ではないように感じている。