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「共感を得る」ことの難しさ

2022-12-12 13:44:14 | アラカルト

しばらく前、英国などの美術館で缶詰のスープなどを使い、名画を汚すという人達が話題になったことを、覚えていらっしゃる方も多いと思う。
その時、「名画にトマトスープをぶちまけても、抗議行動とは思われず、単なる暴力的行為としか思われないのでは?」という感想を持った。
美術愛好家でなくても、そのような感覚でこれら一連の事件を見ていた方も、少なくないと思う。
その「名画にトマトスープ投げつけ事件」について、Huffpostに検証的な記事があった。
Huffpost:”名画にトマトスープ”を「過激な行動」で終わらせていいのか。批判に潜む”特権”とは? 

この抗議行動の真意は「地球も名画も唯一無二の物」という視点での抗議であって、どちらも失ってはいけないモノ、ということだったのでは?と、Huffpostの記事にはある。
確かに「名画も地球も唯一無二」ではあるが、果たして「抗議活動」として効果的であったのか?という点だ。
このニュースが報じられた時、美術が好きな方は怒り心頭だったのでは?
美術に興味が無くても、名画として知られた作品ばかりだったので「美術品にスープ缶を投げつるなんて、意味が分からない」という方も、いらっしゃったと思う。
あるいは、記事中にあるように「単なる目立ちたがり屋」と、感じられた方もいらっしゃったのではないだろうか?
感じ方は人それぞれなので、一つの感想にまとめることは難しいと思うのだが、共通する感想の一つは「共感できない」ということだったのでは、無いだろうか?
もちろん、複数の美術館でこのような事件が起きたことを考えれば、ある一定数の共感者はいると思う。
問題は、その共感者が限定的である、ということだろう。

このような活動に限らず、社会を大きく動かしてく為には「共感者」となる人たちを増やし、その共感者と一緒になって活動を展開することで、新たな共感者を増やしていく、ということだと思う。
そしてその方法は、一つではない。
例えば、投資に興味がある人であれば「脱炭素を実践している企業」に投資をする、という方法がある。
商品を購入するときでも、製品表示を確認するようにその製品を作っている企業や輸出国がどのような「脱酸素政策」をとっているのか?ということを考え、商品を選ぶことで「脱炭素企業を支援する」ということもできる。
「もっと積極的にかかわりたい」というのであれば、大学などで開催される市民公開講座などに参加し、より実践的な「脱炭素」についての理解を深める、ということも一案だろう。
あるいは、「脱炭素社会」が難しい途上国に対して、どのようなサポートができるのか?と考え、共感できるNPOをサポートする、ということも良いかもしれない。

一時の注目を浴びる事で、社会を動かすほどの共感を得られるのは難しい。
だからこそ「継続的に注目される共感性」とは?ということを、考えつくしていくことが大切なのではないだろうか?