マーケティングの話題から、だいぶそれてしまうことと、基本的に「マーケティングと政治は相容れない」ということを断っておきたい。
先日の「しあわせって何だっけ?」にコメントを下さった、兵庫県の某職員さん。ありがとうございました。
長いコメントではありましたが、いろいろ考えさせられるところがありました。
私の場合、考えるだけで時間ばかりが過ぎていってしまいましたが・・・(恥)。
兵庫県の某職員さんが下さった、コメントのなかに「地方自治は民主主義の学校」という言葉がありました。
そして「住民は公務員と仲良くするべき」とも。
まず「住民は公務員と仲良く」ということですが、「サービスを享受するだけの住民から、行政と一緒になってサービスを創る住民へ」ということなのでしょうか?
度々ブログで書いていますが2007年以降、「団塊の世代」が定年退職を迎えることを見据えた時、この世代の人たちが積極的に地方自治に関わっていくことで、いくつかの問題が解決できるのではないか?」と考えています。
その為の呼びかけを是非、自治体として欲しいのです。
PFドラッガーの「ネクストソサエティー」等でも、言及されていますが、これからの社会に必要なことは、「セカンドライフの充実とその受け皿」では。
もちろん、その為には対象となる人たち自身が行動を起こさなくては、意味がありませんが、その提案というものも自治体としては、大切なことのように感じています。
そうすれば、「住民と公務員は、今より仲良くなれる」ような気がしますが・・・。
そして「地方自治は民主主義の学校」ということ。
以前から思っていたことだが、選挙区で育ったこともないような人が「世襲的」に立候補しているケースが、少なくない。
オトウサンやオジイサンの出身地で、応援支持母体が「その血を絶やすまい」ということで立候補している場合だ。
こういう人たちにとって「政治」とは、「自己利益を誘導するもの」でしかないような気がする。
そもそも、立候補する2代目3代目にとって、選挙区に対する思いなどあるのだろうか?
「選挙区民の意見や考えを、どうやって国政に反映させようか?」という考えよりも、「支持母体の利益を、どうやって守り、多くしていくのか?」ということしか、考えていないような気がするのだ。
だから「郵政民営化」の論議が「田舎の特定郵便局を、如何に守るか?」という話へと摩り替わってしまったのではないだろうか?
「地方自治」のあり方を、シッカリ勉強しないで「世襲的なしがらみ」だけで国政をしようとするところに、無理があるような気がする。
今回の選挙には「刺客」だの「九の一」だのと、やや時代錯誤で物騒な言葉が飛び交っている。
そんなことよりも「地方の意見や考えを、国政の場で堂々と論じ、国民の利益とは何か?」ということが、考えられる人を選びたいものだ。
先日の「しあわせって何だっけ?」にコメントを下さった、兵庫県の某職員さん。ありがとうございました。
長いコメントではありましたが、いろいろ考えさせられるところがありました。
私の場合、考えるだけで時間ばかりが過ぎていってしまいましたが・・・(恥)。
兵庫県の某職員さんが下さった、コメントのなかに「地方自治は民主主義の学校」という言葉がありました。
そして「住民は公務員と仲良くするべき」とも。
まず「住民は公務員と仲良く」ということですが、「サービスを享受するだけの住民から、行政と一緒になってサービスを創る住民へ」ということなのでしょうか?
度々ブログで書いていますが2007年以降、「団塊の世代」が定年退職を迎えることを見据えた時、この世代の人たちが積極的に地方自治に関わっていくことで、いくつかの問題が解決できるのではないか?」と考えています。
その為の呼びかけを是非、自治体として欲しいのです。
PFドラッガーの「ネクストソサエティー」等でも、言及されていますが、これからの社会に必要なことは、「セカンドライフの充実とその受け皿」では。
もちろん、その為には対象となる人たち自身が行動を起こさなくては、意味がありませんが、その提案というものも自治体としては、大切なことのように感じています。
そうすれば、「住民と公務員は、今より仲良くなれる」ような気がしますが・・・。
そして「地方自治は民主主義の学校」ということ。
以前から思っていたことだが、選挙区で育ったこともないような人が「世襲的」に立候補しているケースが、少なくない。
オトウサンやオジイサンの出身地で、応援支持母体が「その血を絶やすまい」ということで立候補している場合だ。
こういう人たちにとって「政治」とは、「自己利益を誘導するもの」でしかないような気がする。
そもそも、立候補する2代目3代目にとって、選挙区に対する思いなどあるのだろうか?
「選挙区民の意見や考えを、どうやって国政に反映させようか?」という考えよりも、「支持母体の利益を、どうやって守り、多くしていくのか?」ということしか、考えていないような気がするのだ。
だから「郵政民営化」の論議が「田舎の特定郵便局を、如何に守るか?」という話へと摩り替わってしまったのではないだろうか?
「地方自治」のあり方を、シッカリ勉強しないで「世襲的なしがらみ」だけで国政をしようとするところに、無理があるような気がする。
今回の選挙には「刺客」だの「九の一」だのと、やや時代錯誤で物騒な言葉が飛び交っている。
そんなことよりも「地方の意見や考えを、国政の場で堂々と論じ、国民の利益とは何か?」ということが、考えられる人を選びたいものだ。
公務員の仕事も住民に接する仕事と接しない仕事があります。接する仕事にも、権力的な部門とイベント的な部門があります。
私はそれぞれに関わってきましたが、住民に対してまず感じることは、主権者たる自覚を持っていない、あるいは誤解していると言うことです。この分野では、まだまだ日本は成熟していないのでしょうね。
普段無関心なくせに自分が不利になると主権者ずらする人の多いこと。
私は経営学はやったことはないので、マーケティングの正確な意味は知りませんが、先入観として、金儲けの道具のようで余りよいイメージは持っていません。一般的には、市場調査と訳するのでしょうか。
私の業界でよく使う言葉に、plan do see があります。他の業界ではフィードバックと言う言葉があります。
これらに共通するのは、結果を見ながら微調整を行い、より理想に近づけようとする作業の流れです。
マーケティングにもこのような意味合いがあるように感じます。
これが理解できておれば、選挙の棄権など出来ないはずです。この、see の部分に公務員の知識が活用出来ます。
政治、行政に文句を言ったって、元は国民のレベルなのだと思います。
まず、自分を変えなきゃ、他は変わらないと思います。
特定郵便局は世襲制の局長と言うだけでなく、局舎の賃貸料が大家である局長に給料以外に支払われている制度もおかしいのです。もっと議論が必要です。なのに、物騒な言葉をおもしろがる風潮も私にはなじめません。
日本もこの程度かという思いと、いやいやそうじゃないと言う思いと揺れ動いています。
これ以上は繰り返しになるので終わりにします。また長々と失礼しました。
マーケティングについてのイメージが、「金儲けの道具」というのは、半分正しいと思います。
それらのイメージを、否定する気はありません。
なぜなら、日本にマーケティングを定着させた多くの人たちだけではなく、今でも「金儲けの道具」として、「マーケティング」を扱っている人のほうが、遥かに多いからです(「金儲けの道具=企業エゴで利益を上げる道具」というニュアンスを含んでいるという解釈ですが・・・あっています?)。
本来のマーケティングとは、「市場指向による顧客の創造」ということなのです。
「生活者=消費者にとって、どんな利益があるのか?」「事業定義=仕事の意味と目的は、生活者や受益者が決めるものであり、提供する企業や行政が決めるものではない」ということなのです。
その為に必要なことは、「生活者の声を聞く」という姿勢。
そういった意味で、「行政に関わる人たちも『マーケティング思考』が、必要な時代がきている」という意味だったのですが・・・。
どうも、私の説明不足というか、表現の拙さがあったようですね。
まだまだ、勉強です。
これに懲りずに、遊びに来てくださいね。