一昨日だっただろうか?Yahoo!のトピックスに、「広告の基本を知っているのかな?」と印象を持った記事があった。
記事そのものの「広告について」ということではなく、話題となっているイベント告知のポスターについて「広告の基礎」ということを、考えさせられた、ということだ。
JCASTニュース:着物イベントの「左前」ポスターが物議「死に装束」という指摘も…制作元は修正否定「ファッションに決りはない」
リンク先の記事を読まれて、「あ~~この話題ね」と思われた方もいらっしゃると思う。それほど話題になっているポスターだからだ。
ちなみに、記事の最初に登場する着物姿の女性は「左前」ではない。
呉服市場は、ご存じの通り年々縮小傾向にある、と言われている。
確かに、着物を着て出かけるという機会もほとんどなく、その為着物を着慣れているという方は、余りいないだろう。
「夏の花火大会で浴衣を着ていく」位が、卒業式や成人式以外で着物を着る機会になってしまっているのでは?
結婚式でも、招待された若い女性が着物を着て出席する、ということもほとんどなくなっているように見受けられる。
それほど、今の着物は着る機会が無く、イベントが唯一着物を着る機会となっている、というのが現実なのだろう。
それほど身近ではなくなった着物を少しでも身近なものとして欲しい、という考えから今回のイベントは考えられたようだ。
イベントの趣旨としては、良いものだと思う。
問題は、イベントを告知するポスターだ。
制作者側は「着物をファッションの一つとして考えれば、着物の着方も決まり決まったものである必要はない」という考えのようだ。
確かに、「ファッションは、自由であるべきだし、誰かに制約されるものでもない」と、私も思っている。
ただしそれは、周囲の人が不快に感じさせない、という最低条件がある、とも考えている。
とすれば、今回のポスターはどうなのだろう?
広告の基本として、この「見た人を不快にさせない」という点がある。
もちろん、ポスターには「告知する」という目的と役割があるので、そのことを優先させるのは当然だ。
だからと言って、社会通念的なモノを無視するわけにはいかない。
何故なら「社会通念」というのは、「多くの人に不快感が与えない」という感覚があるからだ。
「目立てばよい」というモノではない。
もう一つは「ポスター」であっても、細部にまでリアリティーを持たせる、ということが必要だからだ。
これはテレビCMなども同じなのだが、気づかないようなところにリアリティーを持たせることで、虚構の世界が身近なモノとして感じられるようになる。
だからこそ、細部にこだわる必要があるのだ。
作り手が「どうせこのくらい、わからないだろう」等と高を括ることで、受け手となる生活者に対する訴求力が、無くなってしまうからだ。
イベントポスターであれば、告知することが最優先されることだが、そのポスターを見て「行ってみたい」という気持ちを起こさせることが、一番重要だと考えている。
とすれば、今回のポスターを見た生活者が、「イベントに行ってみたい!という行動に繋がるだろうか?ということなのだ。
そのような「広告の基礎」から考えると、「ファッションは自由であるべき」という言葉よりも先に、注意すべきことが数多くあり、「広告の基礎」をどう考えているのか?ということが分かるようなポスターだと言える。
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