先日「公園での子どもの声に対する法整備」という記事が、取り上げられていた。
TBS DIGITAL:「子どもの声は騒音ではない」法律で定めることも視野に政府検討 社会の意識は変えられるか
ここ10年位だろうか?「子どもの公園遊び」で、様々な禁止事項が増え、公園から子ども達が締め出されるようになったように思う。
その一つが「子どもの声が騒音である」という、感覚だ。
先日も「子どもの声が四六時中聞こえて、体調を崩した」という高齢夫婦の訴えがあり、行政側が公園の利用禁止に踏み切った。
確かに、時六時中子どもの声が響きわたるような状況であれば、精神的にも肉体的にもストレスを常に感じるとメディアに取り上げられるようになった。
当事者となれば、毎日毎日子どもの甲高い声を聞き続けるのは、苦痛でしかないだろう。
その反面、「せっかく楽しみに公園にきているのだから、大人も余裕をもって見守ってやれば」という話がある。
以前、ある公園で「大声を出さない」という注意書きから始まり、「ボール遊びはしない」など、禁止事項が次々と増え、結果誰もやってこない公園となってしまった、という記事を見たような気がする。
注意事項が増える=できないことが増える、ということになるので利用者が減っていくのは、当然と言えば当然なのだがそれが公園として利用されなくなる、というのも問題だろう。
問題になるのは、「公園」という場所の役割と住宅地という関係なのかもしれない。
例えば、週末になると新聞のオリコミチラシとして入ってくる、マンションなどの広告。
広告には、必ずマンションの立地条件の良さを強調している。
その中にあるのが「近隣の公園」だ。
「公園が近くにある=住宅地として環境が良い」ということを、伝える条件の一つとなっているのだ。
だからこそ、「公園の近く」という立地=生活環境が良い、ということとして社会的認知がされている、ということだろう。
とすれば、生活環境が良い公園の近隣が子どもの声で生活の質が落ちる、ということを解決する必要がある、ということになる。
考え方の一つとして、「公園と住宅の間に騒音緩衝地帯を設ける」という方法があると思う。
住宅地+広葉樹林帯+遊歩道などを設ける事で、公園と住宅地の距離を開け、広葉樹帯を設け都市部の温暖化対策などにも繋げる、という考えだ。
それだけではなく、海外の公園のように芝生化するということも、考えても良いだろう。
芝生化すると、管理などが大変かもしれないが、サッカーなどのスポーツ会場などのような維持管理は必要としないはずだ。
むしろ、芝生化するコトで子ども達が転んで怪我をする心配もなくなるだろうし、これまでとは違う公園での遊びになるかもしれない。
週末などはピクニック気分でお弁当を広げる人達がいるかもしれない。
そうなれば、公園等場所がコミュニティー場所となる。
人との繋がりが公園という場所で出来る事で、公園での騒音に対する感覚も変化する可能性もある。
何故なら、見も知らない人の声は騒音のように思えても、知人の声となれば騒音とはならないからだ。
「公園」という場所は、本来そのような自由でありながら人が集まる場所なのだと思う。
災害時での避難場所という役割もあるはずだが、その時でも利用する人達の間でコミュニケーションができていれば「公園を中心としたコミュニティー」が既に出来上がっているので、これまでとは違う地域コミュニティーとして機能する可能性もあるのではないだろうか?
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