日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

さくら、咲くよ!‐受験生へエール‐

2007-01-19 20:49:50 | アラカルト
お礼が遅くなりましたが、一昨日のエントリにコメントをくださった「ひろさん」ありがとうございました。
「笑顔のある職場」というのは、例えトラブルが発生しても企業全体で解決していく方法を迅速に話し合える職場かも知れませんね。
企業が、社会・生活者を幸せにする方法のひとつだともいえそうです。

いよいよ、明日からセンター試験が始まる。
新年あたりから、新聞や雑誌などでは「縁起・語呂合わせお菓子」が、取り上げられていた。
その先駆者?的存在が、ネスレの「キットカット」だ。
今年は、「サクラサク受験生応援委員会」というキャンペーンを展開している。
テレビCMも、今週から頻繁に流している。

このキャンペーンの中心となっている、フリーペーパーを今日近所のコンビニエンス・ストアーで見つけた。
早速手にとって見ると、参加している企業・団体の多さにびっくりした。
一番驚いたのは「本郷商店会」だ。 
東大のお膝元本郷にある、商店会さんが「受験生がんばれ!」とエールを送り、商店街に幟を立てている。
名前は「願いがかなうサクラの花道」だという。

このフリーペーパーには、様々なジャンルで活躍している人たちからの「エール」が掲載されている。
面白いのは、エールを送っている人たちが使っている筆記具だ。
若手俳優として活躍している市原隼人さんは、シャープペンシルのようだが、作家の石田衣良さんは、作家らしく原稿用紙に万年筆。
ミュージシャンのレミオロメンは、メンバーそれぞれの個性が表れているようなポップなマジックやサインペンで、メッセージも短い。

他にも、某予備校は「受験虎の巻」を掲載し、受験前日~当日、突発的な出来事への対処法まで「五訓」のように並べている。
例えば「試験会場には、温度調節ができる服を着ていく」とか「お金は、千円札単位で多めに準備」などがある。
「いまどきだな~」と思うのは「携帯電話の電源を切る」だ。
意外なことは「脳は、ブドウ糖で活性化する。ブドウ糖の入った食品を用意」だろう。
ポケットには、飴かキャラメル、一口チョコなどと入れていくと良いのかも知れない。

もうひとつこのフリーペーパーが面白かったのは、マーケティングという仕事の参考になるデータがあったことだ。
頻繁に使う『絵文字』だとか、高校卒業後のアルバイト先など「今の高校3年生」の姿を少し感じられた(ただ・・・アルバイト先に「キャパクラ」があるというのは・・・(苦笑))。

明日からの2日間で、その後の人生が決まるわけではない。
たとえ失敗をしても、石田衣良さんのメッセージにあった「10代後半に、たくさんのいいもの、素敵なものにふれてほしい」という言葉を思い出してほしい。
本にしても、音楽・映画・スポーツなどは、受験に関係ないけれども「ひととしての感性を磨いてくれる」と思うからだ。


映画祭と破綻自治体

2007-01-18 21:57:26 | アラカルト
今日の新聞各紙に、「1回限りの夕張映画祭」の記事が掲載されている。

夕張市といえば、昨年自治体として破綻したとして話題になった。
いわゆる「箱モノ行政」というか「補助金行政」で、まちの規模と必要な箱モノを考えず「観光の目玉」として、無計画に建てた結果採算が合わず破綻の一因となったのだ。
もちろん、まちの高齢化などによる福祉の負担増などもあったとは思うのだが、どう見ても不釣合いで場違いな感じの「観光箱モノ」を当てこんだ行政負担が大きかった様に、思われてならない。
そのしわ寄せとなって、中止に追い込まれたのが「映画祭」だった(部外者からは、そのように思えた)。

夕張市だけではなく、地方自治体の多くが将来的に「財政破綻の危機」が言われている。
その中で地方ならではの活性策のひとつとして、文化事業が注目されている。
拙ブログでも何度か取り上げてきている「越後妻有トリエンナーレ」は、日本一の豪雪地帯で、これといった産業もない。
もちろん、過疎と高齢化が進んでいる地域だ。
その地域が世界のアート界から注目され、海外からの来場者が増えている。
ほかにも、ベネッセが直島(なおしま)で展開しているアートプログラムなどが、注目されている。
いずれも、東京都心などから遠く離れた場所にある。

これらの事例を、単なる「アート・プログラム」という範疇でとらえるのではなく、地域の活性化の一案として考えることができないのは、なぜだろうか?
美術館で鑑賞するのが「アート」というのではない。
触ったり、自分が参加していくことも「アート」のあり方なのだ。
アートだけではなく、今回の夕張映画祭のように映画も音楽も、ひとつの産業として立派に成り立つ要素をもっている可能性があるのではないだろうか?

そのためには、私たちも従来の「鑑賞する」というスタイルではなく、「参加する」ということが大切だし、受験教育ではその「感」は育ちにくいとは思うのだが・・・ただ、世界に誇れる日本の文化というコトを忘れたくない。


プロのOLたち‐派遣の品格・OLのプライド‐

2007-01-17 21:34:31 | アラカルト
この1月から始まったテレビドラマ「ハケンの品格」
ほとんどドラマを見ないのだが、タイトルが気になって1回目の放送を見てみた。
もちろん理由はもう一つある。
主人公が派遣される先の部署が、「マーケティング課」ということも気になったのだ。

このドラマの脚本を書いている人が、どれだけの会社勤めの経験があるのかわからないのだが、今の女性正社員があのように横柄で、お茶ひとつもまともに淹れられないとしたら、日本のOLも地に落ちたというのが、個人的な本音である。
今は職場に備え付けのティーサーバーがあったり、自販機のコーヒーなどを利用するため、お茶を淹れることもないのかも知れないが・・・。

会社勤めをしている頃、よく言われたことが「専門の仕事だけができても、仕事をしたことにはならない」ということだった。
担当するマーケティングの仕事はできて当たり前、お茶を淹れたり・コピーを取るなどいわゆる「雑務」も難なく笑顔でこなすのが、「プロのOL」と言われた時代でもあった(その意味で「プロのOL」が減ってきたのかも知れない)。
おかげで、当時勤めていた会社の役員のお茶の好みにあわせ、煎茶を煎ってほうじ茶にするとか、昼食をかねてのミーティングで出すお茶は、食前は煎茶・食後はほうじ茶とお料理屋さん並に使い分けることも知った(このことで、親戚の集まりのときなどの手際の良くなり、一番喜んだのは実家の両親だった)。

いつの頃からか「お茶を淹れる」のは、正社員の仕事ではないように言われ始め、派遣の女性が雑務、正社員が職務といわれるようになった。
時々、「職務って何?」と考えることがある。
マーケティングという仕事は、「気配り・目配り・心配りが大切」と言われる。
それだけ、目の前にあるデータだけを見て仕事をするのではなく、「人の気持ち」や「思い」を想像し、考えていくだけの「感」が必要なのだ。
それは、OLの「(来客時に)おいしいお茶を淹れる」という、感覚に近いのかも知れない。
そのためには、職場で自分に淹れるお茶も・ついでに上司に淹れるお茶もおいしくなければ意味がないのでは?と、最近思うことが多い。

もうひとつ気になることがある。
それは「笑顔の無い職場が増えている」ということだ。
「仕事を真剣にやっていれば、笑顔なんてあるはずが無い」といわれるかも知れないが、職場の笑顔は、コミュニケーションの重要ポイントなはずだ。
下手な受け狙いの「おやじギャグ」よりも、はるかに有効かつ効果的なコミュニケーション方法が「笑顔」なのだ。
どうも、そんなことすら忘れ去られているような気がしている。

ところで・・・「ハケンの品格」の本日放送予定に「主人公が、書類をまとめホッチキスでとめる競争をする」と言うのがある。
多くの企業の「プロのOL」たちは、あんな悠長な方法でホッチキス止めをしてはいないだろう。
職場によっては「帳合機」を使っているだろうし、普通の職場でもまとめた書類を積み上げ、一気に枚数を数えながらホッチキスを打っているはずだ。
それが「プロのOL技」というものなのだ。

世間では「ホワイトカラー・エグゼンプション」なるものが、話題になっている。
もし、実施をするのであれば公務員の皆さんから実施されてみてはいかがだろう。
そして労働形態が派遣・正社員・パート(アルバイト)関係なく、実質的な労働内容というものを、洗いなおしてみる必要があるのではないだろうか?
「残業代なし」を言うのは、それから後の問題ではないだろうか?

日本的なビジネスチャンス?‐廃材バイオマス・エネルギー考‐

2007-01-16 20:41:33 | ビジネス
今日の毎日新聞WEBサイトに、「廃木材:バイオ燃料として見直し 争奪戦も激化」という記事が掲載されている。
昨年、一時期原油の高騰により「バイオマス・エネルギー」が注目されたが、日本で最注目されたのが「廃材」だった。
諸外国では、サトウキビなどを直接バイオマス・エネルギー一として使うことが、一般的だといわれている。
日本では「廃材」や、砂糖を精製した後のサトウキビを使った「バイオマス・エネルギー(研究)」が盛んだ。
「もったいない精神」の本家としては、面目躍如といったところか?

「廃材利用」で思い出したのだが、今団塊の世代のリタイアに向け住宅業界は「リフォームブーム」だといわれている。
リフォームによる、住宅建材の廃材は貴重な資源となる。
では、日本の森林資源はどうなのだろう?
これからのシーズン、何かと悪者扱いされる植林された杉による「花粉症」の広がりは、加速度的になっている。
その背景には、植林はしたけれど管理がおざなりになり、日本の戦後の植林地は荒れ放題になると言うのが問題なのである。
植林された杉に問題があるのではなく、植林後の管理が問題なのだ。
それだけではなく、昨今の「エコロジー・ブーム」で、企業の多くが「社会的責任」として、さまざまな植林事業を進めている。
一見、企業の植林事業というのは「環境問題に積極的に取り組んでいる」という印象を与えるが、問題は植林後の管理なのだ。

廃材を利用した「バイオマス・エネルギー」も良いが、植林管理のための間伐材利用の「バイオマス・エネルギー」も、「もったいない精神」の新しいエネルギーなのではないだろうか?

昨年、ライオンの「なつめやし」から作った洗濯洗剤は「使うエコとしてはOKかも知れないが、作るエコとしては問題」と拙ブログで書かせていただいた。
間伐材の利用は、「作るエコとしても、使うエコとしてOK」だという点で、もっと注目されても良いのではないだろうか?
そして、海外の安い材木ではなく、国内の間伐材の集成材などを建材とし使うことで、日本的なエコロジーサイクルを作り上げ、海外からも注目される「日本的生活様式」と言う文化となるのではないだろうか?

カップヌードルに込められた思い

2007-01-14 21:27:32 | CMウォッチ
先日、日清食品の名物会長・安藤百福さんが亡くなられた。
この訃報は、日本だけではなく世界へと打電され、欧米でも安藤さんの業績を称えるとともに、強い悲しみを伝えていた。
以前、拙ブログでも幾度か取り上げてきたのが「カップヌードルのCM」だ。
安藤さんの「食足りて世は平らか」という考えを、如実に表現していたCMだったからだ。
それは、カタチを変え今でも続いている。

ここ2、3年のカップヌードルのCMは、戦火の子供たちを取り上げ、彼ら・彼女たちの笑顔が印象的だった。
その一方で、なぜカップヌードルのCMなのに戦火の子供たちを起用する必要があるのだろうか?と疑問を問いかけもあったはずだ。
その一例が「少年兵」だった。
銃を手にした少年兵というのは、テレビCMとしては衝撃的だった。
だからこそ、批判が起きたのだろう。
「考えてほしい。なぜ彼が銃を持たなくてはいけなかったのか?ということを・・・」そんな問題提議をしながらも、静かにミスチルの楽曲だけが流れることで、メッセージ性と商品の持つグローバリズム(=世界で愛されるカップヌードル)ということを表現して見せていたのだ。

そして現在は、大友克洋さんを起用し「FREEDOM」をキーワードにして展開している。
制作ノートなどを読んでみても、前作「No Border」と通じるモノを持っていることがわかる。
すなわち「食には境界はなく、自由である」というメッセージなのだ。
もちろん、「食文化」を無視するのではない。
その国々の持っている伝統的食に対する文化を大切にすることと、カップヌードルのメッセージとは別だ。

カップヌードルという食品に込められた「境界がない自由」ということは、安藤さんが言っていた「食足りて、世は平らか」に通じる理念なのではないだろうか?
そのCMが年が明け、また新しくなった。
今度は「地球」だ。
青く美しい地球の姿は、「No Border」の最終編でも見られることができた。
それは「ほら、境界なんてないでしょ!」と、言っているような印象的なモノだった。
それを再現することで「自由」の意味を問いかけているのが、今回のCMなのだろう。

年明け早々、食品業界を揺るがす事件が続出した。
そこには「自分が良ければ(=儲かれば)」という、意識が経営陣に大きく働いていたように思う。
その中で安藤さんのような「食品への愛情と理念」が、クローズアップされていくような気がしてならない。

企業の品格と株価

2007-01-13 23:59:49 | ビジネス
昨日のエントリにコメントを下さったカミナリ弟さん、星の王子さま、ありがとうございました。
今日になって、ミスドの新商品やローソンのお弁当に付いているお醤油の賞味期限切れなど、ここにきて一気に問題噴出という感じです。
というか、今だから問題が出やすいのかな?という気がします。

カミナリ弟さんが指摘されいた「ジョンソン&ジョンソンのタイレノール」は、企業の危機管理のお手本とされていますね。
マーケティング、企業経営やマネジメントだけではなく、総務や経理など企業にかかわる全ての人が知っておくべきお手本なのですが・・・そこまで徹底的な企業人教育がされていないの現状なのでしょうね。

もうひとつ気になるのが、このような事件があるたびに「スケープ・ゴート」を作りたがることだ。
「誰か」という「犯人探し」は、一見正しいように思える。
だが、このような事件・問題は「誰か」というレベルの問題ではない。
生活者が求めているのは「誰か」ではなく、「どう対応するのか?」ということなのだ。
どうして、そんな基本的なことがわからないのだろう?
むしろ「誰か」という犯人探しをすることで、生活者は「なんて品格のない企業なのだろう・・・」と、思い・感じ不信感を募らせるだけなのに。

当然だが、そのような「生活者の雰囲気」は「株価」に直接反映される。
「会社にとって良かれと思ったコト」は、決して「良いこと」ではないのだ。
今は「企業の品格も株価に反映する時代」なのだ。
 
そのことを、年明けいきなり思い知らされた事件であり、利益・利潤優先による企業価値は「ウソ」だということを示したように思う。


ペコちゃんが泣いている

2007-01-12 22:28:12 | ビジネス
昨日発覚した、不二家での賞味期限切れ食材を使用した「シュークリーム事件」。
実は、シュークリームだけではなくアップルパイでも、同様のことがあったようだ。
昨日の記者会見では、昨年11月の時点でこの問題は社内で発覚していたにもかかわらず、数年前の「雪印乳業の二の舞」を避けるため公式な発表を避けてきたという、説明があった。
とすれば「雪印乳業」の事件の反省はまったく活かされていなかった、ということになる。

雪印乳業を実質的廃業にまで追いやったのは、企業の問題意識の欠如と説明責任のなさ。
そして、企業の社会的責任や企業理念を見失った経営陣の態度によるものだったはずだ。
それを「公表すれば、企業ダメージが大きくなり、経営自体が厳しくなる」という判断を、経営陣がしていたということなのだろう。
一昨年からさまざまな業種で発覚する問題は、企業の問題意識のなさと「なんとかなる」という甘い判断からコトが大きくなっている。
「わからなければ、何とかなる・・・」的な思考が、企業そのものをダメにしてしまっているのだ。
もちろん、利益・利潤を追い求める中で起きた生活者無視の企業活動だともいえるのだが、いつのころからかこのような発想が企業の経営陣に根付いてしまったのだろうか?と疑問に思う。

不二家という企業は、「洋菓子」を売っているだけではなかったはずだ。
創業当時「洋菓子」というオシャレで「夢のあるモノ」だったのではないだろうか?
そしてもうひとつ「お菓子」という側面から考えれば、子供たちにとって大切な食事でもあったはずなのだ。
高校の家庭科(だったと思う)で「幼児期におけるおやつは、3回の食事ではまかなえない大切な栄養を得るためのサブ的食事」だと、学んだ記憶がある。
そのため、量ではなく質の高いおやつが必要なのだと。
その考えをあらわしているのが、グリコのキャラクターであり、グリコのおまけ(グリコでは「おもちゃ」と呼んでいる)なのだ。
そのような考えが、不二家にもあったと思うのだ。
だからこそ「ペコちゃん・ポコちゃん」というキャラクターが必要であり、長い年月を経ても変わらないブランド力をもち続けることができたはずなのだ。
その「基本」となることを忘れてしまったことが、今回の事件の素なのではないだろうか?

もうひとつ、経営陣の記者会会見で気になったことがある。
それは、「(昭和)30年代から職人としてやってきた人間が、その当時の感覚で原料を扱っていた」という言葉だ。
きっと、この職人さんは集団就職かなにかで都会に出てきて、不二家一筋で洋菓子作りをしてきた人なのではないだろうか?
その人たちだけに、責任転嫁をさせるような発言は経営陣としてあるまじきことではないだろうか?
彼らが一生懸命洋菓子を作ってきたからこそ、今の不二家というブランドがあるはずなのだ。
もし「社内における衛生管理が、不徹底でこのような事件を起こしてしまった」と言えば済むことだったのではないだろうか?

経営陣がどこか他人事のような発言をする事件があるたびに、「企業経営の基本」ということを考えさせられる。
「お金儲けだけでは企業経営ではない」そういう時代だということを認識していない、企業経営者がまだまだ多いということなのだろうか?


今年はじめのご挨拶

2007-01-11 21:51:31 | アラカルト
年明け早々PCが故障してしまい、アクセスしてくださったみなさまにお詫び申し上げます。
やっと何とかなりました(苦笑)。
年明け早々の話題は、NHK・紅白歌合戦のハプニングだったようだが・・・「公共放送」を掲げているのなら、放送のTPOを考えたほうがよかったように感じる。
「表現の自由」といいながら、自ら「表現の自由」を手放しているようなNHKに、将来があるのだろうか?と思える。

現在発売されている「VOUGE Nippon」に、メイクアップアーティストの草分け的存在の植村秀さんのインタビューが掲載されている。
その中に、とても素敵な言葉があった。
それが「jolle femme=ジョリファム」だ。
フランス語の「ジョリファム」というのは、勉強をしてセンスを磨いていい女になった人のことだ。
昨年から頻繁に言われるようになった「格差」の中には、生まれた環境によっても生まれる場合がある。
でも、「美意識」や「センス」といったことは、生まれもった環境に左右されるものではない。
むしろ、知的好奇心を持ちつづけることでセンスは磨かれ、知性や教養が身につく。
そういう「美しい人」が増えてくることが、今年のポイントとなっていくような気がするのだ。

「ジョリファム」というのは、女性を対象とした言葉だがもちろん男性も同じように増えてほしい。